庄内に民間育種家が多く出た動機について、庄内の稲作にかける農民の情熱・技術水準・生産条件に対し「異常なまでの」という雰囲気が元々在ったのではないか、ということと、庄内藩時代の農政の影響があったのではなかろうか、と思われる。領内は儒教が盛んで、領民にも論語や孟子を奨励した。自然と気持ちも研究へと向いたであろうし、何よりも庄内の環境が一番影響を与えている。平坦地で一部は水利には恵まれているが、土壌の条件は必ずしも稲に適しているとはいえないし、それ故に常に「かいげん(開眼)」の努力が必要であったのだと思う。また、場所により土質が異なり、農民は品種の選択に細かな気配りを強いられ、それがかえって意欲に繋がっている、と、元山形県立農業試験場長 大沼済は言っている。また、庄内地方はまったく稲作本位の農業であるため、米に関しては実に真剣そのもので、農民の稲作に対する愛着は到底他地方の民情では計り知れないものがある。経済を度外視して新品種の創選へと走らせたもののようである、と、仲鉢幸雄がいっている。これらの意見は、庄内の民間育種家の心を言い得ているのではないだろうか、と思われる。
阿部亀治翁顕彰碑

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