ネタ切れ?


 薄紅色のコスモスが、環状列石のとなりでそよ風に揺れている。眼下には稲刈りの終えたたんぼ、そしてその彼方にはちっぽけな長井の街が……。
 ここは古代の丘、梨の木むらの東にある星の広場。夏には縄文キャンプのキャンプファイヤーの会場として、子供達の歓声が響く場所だ。
 そんな所で何をしてるかって? ぢ、ぢつは……この原稿を書くためノートパソコンのキイボードを打ってるのよっ!
 こんな書き出しってことは……? そう、お察しの通り、ネタ切れ……。アハハ……。締め切りはもう、明日に迫ってるというのに……。
 てなワケで、しょうがないから今回は、縄文太鼓の近況なんてものをつれづれに書いてみようと思う。

 早いもので、縄文太鼓は今年で結成17年目を迎えた。始めた当初はオレも、髪もフサフサの美青年だったのだから、時の経過はまさに一目瞭然だ。その髪の抜け落ちる間、オレ達はいったい何をやってきたのかと言えば……ん〜と、え〜と……アレッ?
 で、でも取りあえず、今残ってるモノを数えれば、百は下らない楽器、10いくつの曲、それに去年発売したCD『ドンコ』、この位は間違いなく残せてきた。そうそう、今日これから演奏してくれる縄文太鼓少年少女隊の演奏、これもそのウチの一つに上げてもいいかな。もちろんこれらはオレ達だけの力で出来たワケじゃなく、故佐藤正四郎先生をはじめとする色んな方々のお世話になってきたことは言うまでもない。
 いまでこそ、縄文がひとつのキイワードとなって、自然との共生とか心の豊かさを取り戻そうというのが時代の大きな流れになって来はじめてるけど、ここ縄文むらはその考え方を実践した一番乗りだと胸を張ってもいいと思う。例えば縄文の音楽をやってるのは、同じ縄文太鼓という名前を持ったグループでさえ日本各地にチラホラある位たくさんあるけど、なんつってもオレ達より古いのは、何処にもないんだよね〜。

 今年7月、伊那かっぺいさんの番組に出演した。そのお陰かどうかは知らないが、9月末に、一昨年に引き続き二度目の『青森三内丸山 縄文フェスタ‘99』と言うイベントへの出演を果たした。今年は、地元青森の森田村縄文太鼓との共演と言うことで、とても楽しみだった。そのリーダーの宮崎さんとは5〜6年前からの旧知の仲だったけど、お互いの演奏はまだ見てはいない。グループの名前は“石神もつけ太鼓”と言って、和太鼓や自作楽器での演奏が本来の姿で、土器に牛や鹿皮を張った太鼓がメインのバージョンを縄文太鼓としている。当日は三人だったが、本来は四人での演奏とのことだった。
 ステージの上には六つほどの土器太鼓が置かれている。いきなりアフリカンビートのような軽快で力強いリズムが叩き出された。イタドリで作った笛や、オーストラリアの先住民族の楽器“ディジャリドゥ”などを使った曲もあった。PAを使いエフェクターも通してるから迫力がある。しかもその演奏技術はプロ並みだ。しばし圧倒されるが、聞き終えたメンバーの口から出た感想は「んでもあれ、縄文でなえよねえ……」この過剰なまでの自信こそが、これまでのオレ達を支えてきた原動力だったに違いない。たぶん。
 引き続きこっちの演奏。オレ達はいつものように地べたに円形の布陣を張り、中心には特別な許可を得た火を燃しての演奏だ。こっちもなかなか反応がいい。そしていよいよ縄文音楽祭の最後を飾る二グループでのセッションだ。青森だから“ねぶた”のリズムならなんとかなんべぇ、という安易な打ち合わせを前もってやっていた。アドリヴの笛を入れ、ついでに“ラッセーラ”の掛け声も……。しだいに観客からも大きな掛け声が入ってくる。宮崎さんたちの太鼓のアドリヴもいい。ノリのいいバッチシの曲に仕上がった。大きな拍手、歓声。
 あ、ちなみに森田の縄文太鼓は、まだ14年目だってからね。当然、後輩後輩。

 うっ、サブッ……。別に親父ギャグを言ったワケではない。昼前に来たときは結構暖かかったのに、日が陰ってきたら急に寒く……。そうだ、昼飯も食ってなかったんだ。時折上ってくる家族連れにはヘンな目で見られるし、そろそろ帰ろ。
 でも、このぐらい書けば、だいたい埋まるよなぁ……。来年は何を書こうかなぁ……。


1999.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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