売れる…よね?!


 ついに、ついに待ちに待った俺たちのCDアルバムが、先月の末発売された。なにしろほとんど借金で作っちまったCDだから、売れなくちゃこまる。ホントにこまる……。

 縄文太鼓は今年で結成16年目を迎えた。口では「ライフワークとして……」なんてカッコいいこと言ってきたけど、よくこんなに長いコト続けてこれたもんだなぁと、自分たちのことながら感心してしまう。なんでかなぁと考えてみると、やっぱり第一番に『縄文』というテーマの深さ、そして自分たち自身が面白いからやってるっていうスタンス、それから縄文太鼓の活動を通じての沢山の人たちとの出会いと感動。でもホントは、ただ単に酒飲みが楽しかったから、というのが真相だったような気がしないでもない。
 ま、それはともかくとして、演奏する機会が増えるにつれ「録音したテープかなんかないの?」なんていうありがたいご注文を受けるようになってきた。でも、完璧主義者の集まりである俺たち(あ、石投げないで……)にしてみれば、中途半端なモノを世に出すことは良心が許さない。てなわけで、昨年青森県の三内丸山遺跡で演奏したことなども追い風に、ついにCD制作へと一歩踏み出したのだった。

 2月21日午前5時、楽器を積んだ4トントラックと、山ほどの酒とツマミ、そして俺たちの夢と不安を満載したマイクロバスが、レコーディングスタジオのある富士山のふもと山中湖村へと出発した。離れになっている一番大きなスタジオの、目張りしてあるサッシを無理矢理はずし楽器を搬入。わざわざ東京から駆け付けてくれた古澤さんが見守る中、軽く練習。「金子ぉ、笛トチルなよぉ」プロデューサーの川村さんから叱咤の声。うっ、ひとの心配などしてる場合じゃない。しかしその夜はしっかり遅くまで前夜祭。
 隣室のイビキのせいばかりとは言えない眠れぬ夜が明ける。スタジオに行き笛を吹いてみる。音が出ない。乾燥のせいでみんな割れてしまっている……夢、だった。

 遅目のブランチの後、いよいよ収録本番。しかしさっそく悪夢の再現。いつものような笛の音が出ないのだ。だいたい、緊張するなったって無理っすよ、俺なんか生えた心臓の毛ですら薄くなってきてるんだから……。
 ふと見ると、録音が進むのとシンクロし、スタジオの隅に置いてある一升瓶の酒が減ってきている。オイオイ、ここでも飲むのかぁ?しかしそのお陰かどうかは知らないが、何とか無事に録音が進む。出来立ての曲『バンブ』に至っては、直前のリハーサルとは違う楽器で演奏するという、離れ業をかます奴まで出て来る。夕食をはさみ、あと4曲。最後の力を振り絞った『ゴエラ』の演奏が終えたのは11時過ぎだった。
 「終わったぁーっ!」やり遂げた満足感と開放感が、みんなの顔に溢れている。「さあ、酒サケッ!」いっつもこれだ。ロビーに戻り録音したての湯気の出るような"音"を聴いてみる。決して完璧などとは言えないけれど、身震いのするような想いでその"音"を聴いた。「いいなぁ」誰からともなくそう言いながら、何かを確かめるように少し潤んだお互いの目を見合わせた。
 興奮の一夜が明けた。「おおーい来てみろ」と言うのでベランダに出ると、俺たちへの祝福のように、快晴の空に富士山がくっきりとそびえていた。

 あっという間に数ヶ月が過ぎた。ジャケットを作らないとCDは完成しない。たぶん一生に一枚のことだから、それぞれの思い入れが強すぎなかなかまとまらない。ま、所詮俺たちにゃ無理ということにハタと気が付いて、村上和雄さんにそのデザインを一任することになった。そして一ヶ月、まさに手作りの素晴らしいジャケットが完成した。

 何か活動をやってきて、その証を残せるということはとても幸せなことだ。しかしモノを作ることはとてもパワーの要ることだ。縄文太鼓自体もそうだが、このCD制作に当たっては本当に沢山の人たちの力をお借りした。取りあえずは借金を返済すべく2千枚のCDを売ることだが、これからも地道に活動を継続して行くこと、そしてそれを次につないで行くことが、俺たちに出来るせめてもの恩返しなのかな、と思う。
 一家に一枚、森の鼓動『ドンコ』よろしくねっ!


1998.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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