シッサーマ


 また、ここに来ていた。
 半分ほどに欠けた月が薄雲に隠れながら、ぼんやりと土偶達を照らし出している。いつぞやは、この土偶達といろんなお喋りをしたが、今は静かに佇んでいるだけだ。
 秋彼岸も過ぎた今頃は、まだ六時というのに真っ暗で、いまじぶんこの古代の丘にやって来るのはエコロジストのアベックか、俺のような変わり者ぐらいなものだろう。
 もしかしたらまた話掛けてくるかも知れない。そんなことを少し期待しながら、俺は土偶のひとつひとつに触れながら歩いていた。例のハート型土偶の顔を撫でている時だった。急に虫達が鳴き止み、遮光器土偶の方からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
 「今晩は。」少ししゃがれた声で俺に話掛けてきたのは、なんと、アイヌの民族衣装に似た、鮮やかな文様の貫頭衣を身にまとったひとりの老人だった。立ちすくむ俺に彼はゆっくりと近づき、親しげに話し始めた。
 彼の名はシッサーマ。今から三千八百年前の縄文村に住んでいる村の長老だと言う。そして時々今の世界に現れては、子孫達の暮らし振りをこっそり覗いていると言うのだ。
 いくらお人好しの俺でも俄かに信じられる話ではない。そんな疑念の視線を気にするそぶりもなく、彼はとつとつと話し続ける。
 こないだまでの人間達は、まるでこの世界の主でもあるかのように全て自分達の都合だけで生きていて、もしかしたら、いつか神の怒りに触れてみんな死に絶えてしまうんじゃないかと、ハラハラして見ていたこと。やっとこの頃、人間も自然の一部でしかないことに気付き始めて、例えばこの古代の丘にやって来て色んな事を感じ取って帰る人達を見ていて、少しはホッとしていること。「しかし、オウムの事件やどこぞの国の核実験、あれはいかん。」読み捨てられた新聞なんかにも、時々は目を通しているらしい。
 誰かに似ている…。無造作に伸ばした真っ白な頭髪と髭。浅黒い皺だらけな顔。温厚そうな中に少年の様な純粋さと情熱を湛えた目。
 そうだ、ショウシロ先生だっ!

 佐藤正四郎先生。先生は教鞭を取る傍ら、埋蔵文化の発掘に尽力されていた。昭和五十三年からは長者屋敷遺跡を発掘し、その後地元の人達の協力を得、縄文村を開村。そしてそこを中心とした体験型の施設、『古代の丘』の構想を提唱された。幾多の難関があったが、あの情熱とひたむきさが人々の心を動かし、今こうしてみんなが集う古代の丘が着々と整備されてきたのである。
 例えば『縄文太鼓』の様なものを。縄文の暮らしを音で表せないか。先生が俺達に投げかけてきたテーマは大きかった。先生を囲んで色んな話をした。色んな事を教わった。酒もいっぱい飲んだ。そして二年の悪戦苦闘の後『縄文太鼓』は産声を上げたのだった。
 先生との出会いは、俺達の人生を変えた。縄文から教わることはとても深い意味があったし、色々な人達との出会いは何物にも替え難い財産だ。先生は二年前の春、楽しみにされていた資料館の落成を待たず七十九歳で他界されたが、俺達の中に、正四郎先生はいつまでも生きている。

 俺の傍らに腰かけたシッサーマは、静かに遠くを見ていた。思わず抱きしめたい衝動に駆られ、あわてて視線を外す。「んじゃ、また。」ゆっくりと立ち上がり彼は歩き出す。柔らかな月の光に浮かび上がった彼の後ろ姿は、いつの間にか闇の中へと溶け込んでいった。
 そういえばひとつ思い出した。先生が現役だった頃、白髪を振り乱して怒る姿を見て生徒達がつけたあだ名、言い得て妙なり『おしっさま』。


1995.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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