テフマ


  「テフマ?何それ…」ごもっとも。実は私達縄文太鼓の出来立てほやほやの新曲の名前なのです。
 それでは《チョウセンアカシジミ》っていったい何でしょう?
 えっ?味噌汁に入れて食べる?違います。いえいえ、別に共産主義がどうとかと言う政治的な事にも関係ありません。答えは、お隣の川西町で最近発見された可愛らしいそして珍しい蝶の名前です。
 その蝶もご多分に漏れず、自然環境の悪化の中で絶滅の危機に瀕しています。その為有志の方々の声掛けにより、蝶の生活を通して人間社会の変化を考えようと言うテーマのもと、『蝶の羽音』(仮題)と言う記録映画を、プロの映画集団に委託し現在製作中です。 
 「その、チョウ…何とかと縄文太鼓といったい何の関係があんだよっ!」まあまあ、そう短気を起こさないで聞いて下さい。
 今年の7月初めの事。その映画の監督とは前からちょっとした知り合いだった事もあって、映画の音楽に縄文太鼓を使いたいと言うとんでもない依頼が飛び込んで来たのです。何しろこっちはズブの素人集団。せっかくの素晴らしい映像に、ケチを付けてしまう事になるのを半分恐れながらも、好奇心旺盛な私達は身の程知らずにもそれを引き受けてしまいました。それもあろうことか、蝶をイメージした新曲を作る事まで約束し。

 期限は一応9月一杯をめどに、との事。たったの二ヶ月しかないと取るか、まだ二ヶ月もあると取るか。プレッシャーを頭の隅に感じつつも、日々の生活に追われるうち、いつの間にか後者のほうが勝っていたのです。しかし光陰矢の如し、何もしないうちに一月半が過ぎ、盆過ぎ当たりからは本格的なプレッシャーが私に襲い掛かって来ました。リズムはどうする、メロディはどんな…。そのうち監督からは、曲作りの進行状況をさり気なく確かめる電話が、時々掛かって来るのです。「ええ、まぁ」つまりこれは全然出来てないというニュアンスの返事。失敗したなと思ったに違いありません。
 そうこうしている間に、録音と撮影の日程が9月26日に決定とのの運命の日があと二週間と迫った頃、ようやく慌ただしく練習の日程を組み、本格的に新曲の製作に取り掛かったのでした。その頃はおぼろげながらも曲のイメージも固まりつつあったのですが、ある日、用意していたものとは違った、我ながらなかなかのメロディがふいに浮かんだのです。後は十年培ったチームワークをもとに、曲作りと各パートの練習との同時進行と言う連夜の悪戦苦闘が続きました。その二日前からは、東京から到着した12人のスタッフと打ち合わせを兼ねながらの練習となり、しかしまだ完成には程遠く、双方の焦りは募るばかり。そして録音の前日、深夜近くになって、ようやく、ようやくテフマは出来上がったのです。

 26日午後3時。梨の木むらに楽器をセットし録音開始。しかし皆緊張の余りNGの連発。テイク7で何とかOK。ほっとする間もなくドンコとガモスの録音。秋も半ばの梨の木むらは、終った頃にはとっぷりと暮れてしまっていました。その日の夜は、バンガロー広場でバーベキューと芋煮、そして大量の酒。深夜まで盛り上がった事は言うまでもありません。
 27日午前9時。星の広場に楽器を移動し撮影開始。前夜のお天気祭りが効いたか、朝から雨の天気予報がはずれ、晴れ。やはり緊張の為顔がこわばる。何とかテフマを撮り終えた頃、雨太鼓の本領を発揮し時々雨となる。その晴れ間を縫いながらの撮影は昼頃にようやく終了。

 いやぁ、振り返れば実に波乱の2ヶ月。やり遂げた満足感が大きいだけに、祭りの後の寂しさが漂う今日この頃です。映画のほうは現在編集中で、11月頃には完成予定との事。どうぞお楽しみに…。
 ところで、曲名のテフマの意味解りました? そうそう、その通りです。旧かな使いで、チョウチョは『てふてふ』って書きますよね。それと今はあまり使いませんが、方言では『ちょうま』と言います。だから、テ・フ・マ。


1992.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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