オラの独り言


 うひゃぁ、くすぐったいっ!今、歓声をあげながら子供が二人、オラの股間をくぐり抜けて行った。今度は腕にぶら下がろうとぴょんぴょん飛び跳ねている。
オラはいつも空を見上げているのではっきりとは見えないけど、近くではこの子達のお父さんらしい人が笑いながらカメラのシャッターを切っている。後ろからはやはりそのお母さんらしい弾んだ声。動けるものなら一緒に遊んでやりたいのだけど、そうもいかんか。あ、ごめん。オラは土偶広場の住人で…。名前?そう聞かれると困るけど、ハート型の空を向いた…そうそう、ガニマタの。

 久しぶりの小春日和に恵まれた秋の日。人間社会は休日らしく、今日は釣り人や家族連れで朝から賑わっている。ゆうべはゆうべで若い連中が夜遅くまでバンガロー広場で盛り上がっていたみたい。
 オラ達がここに来て2年になるけど、こんなに沢山の人が来てくれるようになってうれしくてしょうがない。それにマナーがいいよね。ゴミもほとんど散らかさないみたいだし、逆に拾ってってくれる人さえいる。きっとこの場所にくるとみんな優しくなれるのかも知れないね。
 そうそう、最近オラ達の広場の隣には昔のお墓、そして祈りの場所、サークルストーンっていうの?も出来たし、その向こうには待望の立派な資料館も完成したんだ。みんなはもう行って来たのかな?オラも動けるものなら行ってみたいけど…、だめか。

 この頃そこらじゅうでオラ達の時代の遺跡が新しく発掘されてるね。そしてあの頃の時代の暮らしぶりや文化がずいぶん見直されて来ているみたい。うれしいことだよね。だってちょっと前まではオラ達を創った人達の事を、原始人とか野蛮人とか言って誤解してたんだから。石や土で作った道具は簡単に見つかるから解るけど、木で作った道具や毛皮や草木の繊維で作った服や道具なんかはなかなか見つからないからね。素晴らしいデザインの道具がいっぱいあったんだ。それに食べ物だってうんと工夫して美味しいものを食べてたんだよ。何しろそのお蔭か虫歯で困ってた人が何人もいたっていうぐらいだからね。それにね、今の人間達に見習って欲しい事もいっぱいあるんだ。オラ達を作った人達はね、何にでも神様が宿ってると考えてたんだ。自然にあるすべてのもの、山や草木、獣や虫そして自分達の作った道具の一つひとつにも。そういう回りのいろんな物のお蔭で自分達が生きることが出来るんだ、と言う風にとても謙虚に考えてたんだよ。だから必要以上に木を切り過ぎたり、獣を捕り過ぎたり、物を粗末にしたりすることはなかったんだ。いろんなものに感謝し、祈りを捧げて暮らす、それが生きるということだったんじゃないかな。オラ達もその為の大切な道具のひとつだったんだけどね。

 ところで資料館に耳飾りがあるらしいけど、あれはたぶんオラを作ってくれた若い衆が、惚れた女の子にプレゼントする為に、遠いところから石をもらって来て何日も掛けて一所懸命作った、あの耳飾りに違いないとオラは睨んでる。簡単に金で買ったもんじゃないってとこが今と違うんだな!と言う訳で、気持ちが通じ合ったその二人はめでたく一緒になったんだ。ほんと、あの耳飾りがとっても良く似合う、可愛い女の子だったよなぁ…。

 そうそう、年に一回ここでお祭りがあるでしょ。縄文まつりっていうの?そこでやってる縄文太鼓。あれ、もう少し何とかなんないの? えっ、もう11年もやってるって?それにしちゃあ所々ずいぶん間違えるじゃない。ちゃんと練習やってんの?オラの時代の人達はもっとずっとずぅーっとうまかったよ。もっと頑張んなさい!

 あっそうか、オラの声は今の人間達には聞こえないんだっけ…。


1993.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

ものおきに戻る  次のファイルに進む