縄文人 空を飛ぶ


 「うわっ、浮いたっ!おっかねぇ」初めて飛行機に乗った縄文人がふたり、幾分顔が青ざめている。他のメンバーはというと、小さな窓に顔を付け、まるで修学旅行の小学生みたいにはしゃぎまくりだ。今頃、楽器と大量のアルコール類を載せた4t車は、津軽海峡を渡っている頃だろうか。

 まさかと思っていた4カ所もの北海道公演ツアーが現実味を帯び、それぞれの職場の休暇調整やら、楽器車や格安の航空チケットの手配など、半分観光旅行の準備のようなワクワクが続き、そしてようやくひと月前からは新曲の練習が佳境に入っていた。
 公演先のひとつ、朝日町での公演時間は2時間となっているというのに、4年前に発売したCDの収録曲は、10曲でたったの46分しかない。でも、幸いなことに新曲のアイディアが、まるで天から降りてきたように3曲浮かんでいた。ひとつは繰り返しのリズムに勢いのある曲。しかも『パラウ』というタイトルまでセットに。もうひとつはその存在が妙に気になっていた“塩の道”をテーマにしたモノだ。3曲目は残念ながら日の目を見ることはなかったが、歌と手拍子が一体となる泥臭いヤツ。20年やってきて10曲なワケだから、そりゃもう奇跡的なコトとしか言いようがない。
 毎晩の練習が一週間目くらいになると、みんなの体にだんだん曲が染み込みはじめて来ていた。このくらいから、曲は完成に向けて急速に変化を遂げていく。新しい“音”が必要だとなると、楽器の材料である竹の調達のために、夜中にもかかわらず竹林の持ち主宅(桐松寺)を突然訪問する事になってしまったりもする。
 とりあえずはなんとか公演用に12曲の準備ができ、楽器の補修、さらに友人に記録係としての同行を承諾させ、ようやくひと通り公演出発の体制は整った。が今回は、今までとは桁の違うプレッシャーが僕たちにのしかかっている。このツアーのプロデューサーである川村さん(CD制作の時にも全面的にお世話になった)には、すでに2年くらい前からほうぼうに種蒔きをして貰っているワケだし、ボランティアで移動車の運転手を買って出てくれた人たちもいる。食事をご馳走してくれるという人や、宿泊のためログハウスを提供してくれるという人もいる。ましてや、各地公演先の主催者に恥をかかせるワケには、絶対にいかない。そのプレッシャーに負けないで、いつも通りの演奏が果たして僕たちに出来るのかどうか。これまでの遠征は、なにかしら縄文に関連したシチュエーションが整った場所での演奏であり、観客と一緒になって楽しむのが僕たちの音楽だから気が楽だった。だが今回の4箇所の公演先は、プロのミュージシャンが演るのと全く同じ土俵なのだ。演奏そのものが評価の対象なワケで、そこにはプロもアマもない。う〜ん、考えれば考えるほど不安がつのってくる。生え揃っていたはずの心臓の毛さえも、歳とともにウスクなってしまうものなのか。

 カンカン照りの山形からひとっ飛び、新千歳空港は雲の下だった。降り立つとまるで梅雨時のように湿気がまとわりついて来る。今年の北海道は例年になく雨の多い寒い夏だったらしい。

 北海道はアイヌの人たちの住む地だ。縄文の精神文化とアイヌの人たちのそれとは共通したものがある。自然の全てのモノに魂が宿ると信じ、その恵みを頂戴しながら暮らしていることに気が付いていた人たちだ。またアイヌ語は、内地の至る所に地名としても残っている。“置賜”の語源は大きな湿地帯という意味の“ウキタム”というアイヌ語だし、“神”は“カムイ”、“お土産”は神からの授かりものと言う意味の“ミヤンゲ”が語源だという。そんな北の大地で演奏できるということに、僕たちはとても深い意義を感じている。
 この公演旅行でも、きっとたくさんの人たちとの出会いがあるに違いない。それはたぶんこれまでもそうだったように、僕たちにとってかけがえのない大きな財産となっていくのだろう。

 到着ロビーでは川村さんが僕たちを待っていてくれた。そして今日から6日間行動を共にしてくれるスタッフのふたりも、満面の笑顔で迎えてくれた。
 期待と不安、そのふたつが微妙に入り交じった僕らを乗せて、2台のワゴン車は今、静かにスタートした。

※ここから先のストーリーは、北海道公演の2枚組ライブCD『チウル 森の鼓動U』のライナーノーツとして詳しく書かれています。是非お買いあげの程を。


2002.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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