18年目の屈辱


 (うう、マ、マズイ、点かねぇ…)腕はすでにパンパン。背中からは冷や汗が吹き出し、広い額には脂汗が…。

 ここは古代の丘、縄文まつりのメイン会場となっている土偶広場。縄文太鼓の楽器に囲まれた中心に点火を待つ薪が組んである。そしてその周りには古代式点火道具と悪戦苦闘を続ける縄文人と、その様子を固唾をのんでうかがう観客ならぬ大勢の村人たち。
 縄文まつりは回を重ね、すでに18回目を迎えていた。祭りの無事を祈る儀式の後に、古代火起こしによる聖火を広場の中心にともすのが習わしとなっている。つまりその火が起きないと、祭りが始まらないということだ。
 これまでの17回はなんとか無事点火することが出来ていた。しかし今年は…。理由は色々ある。前日までの雨で湿気が多いこと。点火道具の手入れをサボっていたこと。そして結構必要な体力が、歳とともに落ちてきたこと。でも、いつでも点けられるという慢心が、神のゲキリンに触れてしまったことが一番の原因かも知れない。

 15分、そして20分、煙は出るが火に変わるだけの火種が出来ない。見つめる子供たちの純心で真剣な眼差しが、まるで鋭い刃物のように体のあちこちに突き刺さってくる。やがてしびれを切らした進行役が静かに近寄り、耳元にそっと引導を渡した。「ライターで点けろ。」

 コトほど左様に、火というモノはなかなか人間の思い通りになってはくれない。しかし古代人たちは、その火と上手く付き合うことで生活を劇的に変化させてきたのだ。暖をとること、夜の灯り、けもの除け、土器を生み出し煮炊きできたコトによる食生活の改善、etc... 実際火は、想像をはるかに超える恩恵を私たち人間に与えてきた。反面、失火や山火事などによる損害も甚大なモノでもあったろうが…。
 火の発見はたぶん、落雷や自然発火によるものだったろう。その火を火種として取って置いたことも想像に難くない。そして摩擦熱を利用したキリモミ式(手でヒキリ棒を回転させる)発火方法の発見。更にソレを改良したヒモキリ式(棒にヒモを巻き両端を交互に引っ張る)、ユミギリ式(弓の弦を棒に巻き付ける)、舞いキリ式(棒にコマのようなはずみ車を付ける)と発展させる。また他方では火打ち石による発火方法も普及していたようである。
 当然の事ながら、縄文の人たちにとっても火は生活に欠かせない大切なモノだったから、我々が作るいい加減なモノとは材質や機能の面でも、格段にすぐれたモノであったことは言うまでもない。あ、ソレを操る体力はたぶん、決定的に…。

 どんなに誤魔化そうとしても、みんなの鋭い視線はソレを許さない。分かっていながらも無意識に手で隠したピンクの百円ライターが、安っぽい文明の火を燃え上がらせる。敗北感が全身を襲う。「うわ〜、点いたぞぉ〜っ!」ヤラセ見え見えの仲間の叫びが、妙に虚しく響き渡る。ク・ツ・ジ・ョ・ク…。

 つーことで、19回目の今年は是が非でも昨年の汚名を晴らすべく、入念な下調べのモトに上記4種類の火起こし道具(キリモミ式・ヒモキリ式・ユミギリ式・舞いキリ式)を準備してみた。それから、ひと昔前まで使われていた発火方法である火打ち石のセットも用意してある。これは石と火打ち金というモノが必要で、実は数年前から長井に一軒だけあった鍛冶屋さんに制作を依頼してあったのだが、とうとう出来ずじまいであきらめていた。が、今回火起こし方を調べているうちに、日本に一軒だけその火打ち金を作っている店があることが判明し取り寄せたモノだ。これはもう、あっけないほど簡単に火が起きてしまう。マッチが発明されるまでの長い間、この方法が人間の考えついた最高の火起こしの技術だったのだろう。

 あ、そうそう、ところで皆さん“付け木”というのを知ってる?経木(杉などを薄く削ったモノ)の先に硫黄が塗ってあって、それを種火に付け発火させて杉葉などに燃え移らせ、薪の焚き付けにしたモノです。昔は、煮炊きする“かまど”や風呂などはこのやり方で火を焚いていたんです。とても便利で貴重なモノだったので、よく重箱のお返しなどにその“付け木”を入れて感謝の気持ちを表す、なんていう風習もあったくらい。ウチワや黒光りした“火吹き竹”、それから“火消し壺”なんてのも“かまど”の側の必需品でしたね。うわ、なつかしい…。

 でもね、この原稿を書いている現在「準備してみた」って書いた4種類の道具、ホントはまだイッコも出来てないの。マズイなぁ、そろそろオシリに火がついて…。

2003.OCT 縄文太鼓 金子俊郎

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