長井市の市の花、そしてまた市章としても、広く市民に親しまれているあやめ。遠く室町時代にはすでに、当時の出羽の団長井の里に、その優美な姿を現していたようです。いま、野川のほとりに美しく咲き競うあやめ公園の始まりは、明泊43(1910)年。開墾された杉林の跡地に、数十株の野生のあやめが植えられ、茶店が開かれたことからです。
その後に数度にわたって整備され、大正3(1914)年には、あやめ全園として開園することになりました。大正21年に長井線が全線開通したころからは、花の季節には、サーカスやさまざまな見世物小屋が並び、夜になると無数のぼんぼりに明かりが灯り、たくさんの観光客が集まるようになったのです。
あやめ公園は、昭和3(1928)年には町営となり、人々の憩いの場となっていました。昭和丘年の人気投票では、「山形県一名所」に選ばれています。しかし、第二次世界大戦が始まると、食料増産のため、大切に育てられていたあやめはことごとく抜き取られ、公園はイモ畑に姿を変えてしまいました。
この時、これを惜しんだ野川の川向こうにある曙園(現在の「はぎ園」〉の当主が、残されたあやめを自園に移し、その保存に努めたと言われています。やがて長い戦争が終わりを告げ、平和が訪れた時、近郷のあやめ愛好者や明泊神宮から譲り受けたあやめが植えられ、長井のあやめ公園は再び蘇ったのです。
現在、3.3ヘクタールという広い敷地には、500種100,000本ものあやめが植えられ、名実共に日本一のあやめ公園となっています。ちょうど見ごろの六月下旬から七月上旬にかけて、野川から引き込んだ透明なせせらぎが流れる園内は、紫、青紫、藤色、白などさまざまな色のあやめが咲き乱れます。ここにはまた、全国でも珍しい31種頬の長井古種が、大切に保存されています。