ネタ切れするまで続く
木曜日は木の話
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2008年5月

その235  山の恵み          5月29日
 
先週の土曜日に朝早起きして、山に行ってきました。普通に仕事ですから、実際に山にいたのは30分ほどでしょうか。何をしに行ったかと言えば、ミズ(ウワバミソウ)を採るためです。ミズは山に限らずアチコチにありますが、家の山にも以前からありました。でも、このミズすら採ったことがなかった私は、今まではそれっぽいなぁと思いながらもそのままにしていました。連休に叔母と一緒に山に行って確認、その時も少し採りました。
他の山菜は春の一時で採る時期が終わってしまいますが、ミズはまだまだこれから夏までも採ることができます。しかも、癖もなくどんな料理でも食べやすい、なんと優秀な山菜です。家の山でも生えている場所が限られているので、採った量は家で食べる分+少々程度ですが、いつでも採りにいけると思うと、これがなぜか裕福な気持ちになります。
名前のウワバミソウは、蛇が出そうなところに生えているから付いた名前だとか。確かに湿った日影っぽいところに多いですね。山でなくても、湿った石垣の辺りに生えているのを見かけることもよくありますね。家の裏にも、少しですがあります。
ミズは、この辺ではエダケやアイコと呼ばれている「ミヤマイラクサ」と同じ仲間で、イラクサ科です。このエダケも癖がなくて、確かに味や食感などもミズと似ています。が、家の山には今のところなさそうです。



その234  四川省地震          5月22日
 
中国四川省で起きた大地震は、日を追うごとに被害状況が拡大しています。犠牲者のご冥福と、一日も早い救助作業を願うばかりです。
日本には火山が多くて地震国というイメージがありますが、大陸である中国にはあまり地震というイメージがありませんでした。それでも、こんなに大きな地震が起きるんですね。
地震が起こる原因は、大きくわけて2つあると言われています。活断層型とプレート境界型と言われるものです。今回の地震はプレート境界型で、インドプレートとユーラシアプレートの衝突によるものだそうです。2つのプレートが衝突する際にインドプレートがユーラシアプレートの下に少しずつもぐりこんで、できた歪が元に戻ろうとするときに大きな力となって現れます。ヒマラヤ山脈は、この2つのプレートの衝突によってできたものだそうです。それを聞いただけでも、相当大きな力が潜んでいる感じがします。
このユーラシアプレートには、日本の南側半分が乗っかっています。その境界は、日本海の沿岸(北米プレートとの境界)を通って新潟の南側から静岡のほうに横切って、太平洋沿岸(フィリピン海プレートとの境界)を通っています。
今回の地震はマグニチュード7.9という事です。あの阪神大震災でM7.2、その前の釧路沖地震がM7.8です。
地震の際によく聞くマグニチュードと言うのは、地震そのものの大きさを表す単位で、数字に比例するのではなく0.2上がるごとに2倍の大きさになるのだそうです。比較してみると阪神大震災の10倍以上になるのでしょうか。その大きさが分かります。
この地震では、住宅の被害も多いようです。中国の建築の基準がどうなのかまったく知りませんが、仏塔や多宝塔(日本で言うと五重の塔)などの技術も高いものがあるのだと思います。ただ、多民族の共和国でもあって、日本のように全国統一の基準法が整備・徹底されている状況ではないのかもしれませんね。



その233  節          5月15日
 
木材の中で、仕上に使う=目に見えるところに使う材料を造作材(ぞうさくざい)といいます。ムクのフローリングや壁の羽目板、巾木や廻縁、真壁の柱などがあります。こういった材料は、節の大きさや数によって等級が決められています。
等級が決められていると、やはり等級の高いものがいいもののような気がします。実際に無節を良しとする風潮は、根強くありますし、最近では、節があるぐらいなら木を表面に出さないほうがよい、プリントなどの新建材のほうがよいとする見方も多くなっています。
面積が大きくなる床や壁に使う場合は、「節が目のように見えて怖い」と言うような話が、特に女性の場合に多いように思います。
今朝見たインターネットのYA○○○のニュース紹介の欄に、ある寺の本堂の床板に竜の顔が浮かび出ていると言う写真つきの記事がありました。確かに、節が目と鼻のような位置にあって、竜の姿に見えなくもありません。これが家の床や壁にあったら、見方によってはあまりいい気持ちはしないかもしれませんね。
節はご承知のとおり、木が成長する過程でできた枝の跡です。木にとってはなくてはならないもので、わざわざいらないものを身に着けているわけではありません。木を造作材として使うときにも、わざわざデザインとして節を表に出すという必要はないと思いますが、あまり毛嫌いするのも可哀そうな気がします。
木材は自然のもので、一つひとつ違います。自分が住む家、その形を成す木材を、もっと信用しないといけないような気がします。できるだけ余計な手を加えずに、そこにあるままに使う、それが木にとっても住む人にとっても一番いいように思います。



その232  山菜          5月8日
 
5月4日の朝に、再び同じ叔母さんと山に行きました。コシアブラは少し開き気味だっだので、大きくなったものはそのままにして若いものだけを採ってきました。そして、他にも色々聞きながらな山菜を採って来ました。去年も家の山でゼンマイを一握りほど採ったのですが、木の芽以外の山菜は採ったことがありませんでした。と言うか、どれが食べられるのかどれが毒なのか、まったく知りませんでした。
山には私が思っていた以上に多くの食べられる山菜があって、2.3時間でかなり採ることができました。山菜の中では高級と言われるシオデを初めとして、シドケ、カタクリ、ジョンナ、コゴミ、ゼンマイ、ミズ、等など、たくさんの種類がありました。日あたりなどの条件もあってか、大きさや太さは立派なものとは言えないようです。でも、もっと山に入って手入れをしていけば、山菜も大きく育つようになるのかもしれません。
さっそく家では、山菜尽くしの料理が並びました。ゼンマイは、母が茹でて干して揉んでおきました。
山菜は食べて美味しいのはもちろんですが、それを見つけて「これは○○で食べられる」と分かる事がこんなに楽しいとは思いませんでした。今時は知らない山に入ろうとすると注意されたりするそうですが、自分の家の山なら自分のペースで山菜採りができていいですね。チェンソウを持って山にいくのもいいですが、また山の楽しみが増えました。 



その231  コシアブラ          5月1日
 
この時期になると私の家の廻りにある梨畑では、梨の人工授粉が盛んになります。以前ははゴールデンウィークに合わせてその時期を迎えていたように思うのですが、最近は少し早めです。これも温暖化のせいでしょうか。特に今年は早くて、家の畑では27日の日曜日で終わっています。私はほとんど手伝うことができませんでした。
桜の開花も早かった今年、山の春の進み具合も早いのだろうと思いながら、仕事が一段落した29日(昭和の日)、山に行ってみました。去年もこの頃にちょうどコシアブラが芽吹いていました。今年は、山菜に詳しい叔母さんと従姉、それに妻と合わせて4人でいつもとは違う山支度になりました。
桜や梨の様子を見ていると、もしかしたらコシアブラも進みすぎているかな?と思いながら山に入ってみると、なんと、まだ少し早めでした。里では花が早めに過ぎていったのに、山の木の芽は去年より遅めです。雪が多かったから、消えるまでは天気がよくても林の中の気温は上がらなかったのでしょうか。
それでも、朝日が当たるほうの斜面では採り頃のコシアブラもいっぱいあって、一年ぶり・2度目の収穫です。4月にはいってから一度下見にいったときは、一番上の芽をカモシカなどに食われて7.8割はやられていました。それでも、木も去年よりは大きくなって、一本の木に芽が数個付いています。コシアブラも進歩していますね。若い芽は、多分今週末あたりが採り頃でしょう。
去年もコシアブラの話をしたような気がしますが、家の山にはタラの芽は少なくて、コシアブラがいっぱいあります。まだまだ小さい木が育ってきているので、これからも期待できます。去年は少なかったので天ぷらだけでしたが、今年は茹でてみました。そのまま食べると、その味の濃さというかコクというか、タラの芽以上の逸品です。ゴマ和えもすごく美味しかったです。