ネタ切れするまで続く
木曜日は木の話
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2007年7月

その196  ホタル          7月26日

先週お話しをした打ち水のイベントのことが、新聞に出ていました。浴衣姿で木の桶を持って打ち水をする姿は、新聞記事からも涼感があふれています。残念ながら私は忘れていて、事務所の前に打ち水をしないでしまいました。
これも見た目の涼しさの部類かと思うのですが、昔はよくホタルを捕ってアスパラガスの葉を入れた袋に入れて眺めていました。ホタルは水がきれいなところにしかいないという事ですが、、昔はそのきれいな水があたり前だったのでしょう。私が子供の頃は、ホタルも家の庭あたりでたくさん飛んでいたものでした。
成長したアスパラガスは葉っぱ(茎?)が細くてやわらかくて、袋に入れるとふんわりと膨らんだ状態になってくれます。袋に通気の穴を開けてもつぶれません。隙間が多いのでホタルを入れても邪魔にならないし、外から見てもホタルが良く見えます。なかなか風流なものです。
一時期ほとんど見なくなったと思っていたのですが、今は夜8時〜9時ごろに田んぼの用水路のあたりに行くと、必ず何匹かは見つけることができます。その用水路にはホタルの幼虫の餌になるカワニナ(子供の頃はビンノと呼んでいた)も、けっこう見つけることができます。このカワニナも子供の頃は家の前の堰にたくさんいて、それを捕って味噌汁にして食べたりしていました。
なんとも懐かしい昔話のようですが、こんなことがあたり前にできる環境がまたつくれたらいいなぁと思っています。



その195  涼しさ          7月19日
 
昨日までの雨が上がって、久しぶりに日が照ってきました。そうなると急に蒸し暑くなって、日本の夏がやってきたという感じになります。私は早くも6月のうちから夏バテで、今頃になると多少諦めも含めて体も慣れてきているところです。
今は暑くなればすぐに窓を閉め切ってエアコンに頼ってしまいます。でも、この辺で住宅にあたり前のようにエアコンが付き始めたのは、平成になってからのような気がします。その前は付けてもリビングだけとか、受験生のために子供部屋にとか、そんなものではなかったでしょうか。
地球温暖化とは言え、長いスパンの中で見れば昭和の中ごろと今とを比較して、都市型のヒートアイランドなどは別にして、廻りに田んぼがあるこのあたりでは夏がそれほどすごしにくくなったとは思えません。昔はその夏を少しでも涼しくすごすために色々工夫をしていたのでしょう。
たとえば、茶の間や座敷を仕切っていた襖や障子を簾戸(スド)に替えると、風を通しながら見た目にも涼しげです。それと、座布団カバーをゴザ風の夏用のに替えると、座っても少しひんやりして汗ばんでもジメッとした感じが少ないような気がします。
家にはまだウチワがたくさんあります。夜寝る前に窓を開けてウチワで仰いでいると、エアコンでは絶対に味わえない気持ちよさがあります。気温は変わらなくても音で涼しさを演出する風鈴も、日本の夏には欠かせないものです。
あと夏に必ず出てくるものに蚊帳がありました。蚊帳なんかは見たことがない人も多くなったのでしょうねぇ。
山形市で40.8℃という日本の最高気温を記録したのは1933年だそうです。もう70年以上前のことです。その気温を記録した7月25日に、打ち水と夕涼みのイベントがあるとラジオで宣伝していました。打ち水も気分だけでなく少し気温をさげる働きがあるそうです。今度暑い日の夕方にでも、事務所の前に打ち水してみたいと思います。
と、夏に求める涼しさについて書いてみましたが、一番はやっぱり生ビールと枝豆ですよね。



その194  タブノキ          7月12日
 
市役所と消防署の間のT字路の交差点のところにある大きな木、知っている人も多いと思いますが“タブノキ”です。とても大きな木で、道路にまで枝が広がっています。家の庭にもタブノキが1本植えてあります。ちょうど電線の引き込みのところにあって、このまま成長すると危ないので上を切らなければいけないかと考えているところです。
タブノキは温暖な気候を好むようですが寒さに弱いわけではなく、北海道以外は全国にあるようです。常緑の高木で、大きいものは高さ30mにもなるそうです。
従姉がそのタブノキの種を拾ってきて鉢に蒔いたら芽が出てきて、大きくなると困るというので山に植えてくることにしました。7月1日の日曜日に山道の共同作業があったので、そのついでに実生を持っていきました。ちょうど雨降りで水をかける心配もなく、無事に植えてきました。
山の尾根沿いと中間あたりと下の方と3ヶ所にわけて、他の広葉樹もあって日あたりも良さそうなところを選びました。その尾根沿いに植えようと思って周りの藪を払っている時に、どう見てもタブノキに見える小さな木があちこちにいっぱい伸びてきているのを見つけました。
樹種の知識は豊富とは言えない私ですのではっきりとは分かりませんが、葉っぱの形を見るとタブノキにしか見えません。去年あたりは気付かなかったし見たところまだ小さいので、今年になってようやく見えるところまで大きくなったのだと思います。
私が山に行き始めた6年前には、杉の他はミズナラやホオノキなどの数種の背の高い広葉樹があって、その下はササかツバキ・アオキ等の低木の常緑樹の藪で、草も生えないほどの“超過密手遅れ人工林”といったところでした。前に書いたように、去年あたりからタラノキやコシアブラなどの別の木がポツポツ芽を出し始めています。それと同じようにそのタブノキと思われる芽も出てきたのかもしれません。
花が咲いて実がなればはっきり分かるかもしれませんが、今のところは何ともいえません。でも、手入れした山に色んな植物が自然と芽吹いてくるのを見ていると、たとえ杉を育てていくのが目的でないとしても、人工林は自然に生きている天然林とはやはり別に考えて手をかけていかないといけないのだなぁと実感しています。 



その193  よい住宅−環境V          7月5日
 
今建てられている木造住宅は、目で見える表面に木の素材がまったく見えない住宅が少なくありません。そして、木の素材(ムク材、集成材、合板など)が表面に出ていたとしても、その上に皮膜をつくる塗装をしている場合が多くて、木に直接手を触れているとは言えないものが多くあります。
ムク材を使いたいとは多くの人が考えることでしょう。でも、その欠点(と思われている部分)を受け入れられないと使うことができません。傷がつきやすい、色や模様がそろわない、収縮・変形、ヒビやすき間、・・・etc。これらを嫌う人は結構根強くいます。
でも、新建材をよばれる今たくさん使われている仕上げ材などが使われたのは、せいぜいここ40〜50年そこそこの話です。それまでは普通に使われていた木の素材が、だんだん隅に追いやられていった感じです。
県産材の利子補給制度が始まってから、5年ぐらいでしょうか。その成果もあってか、住宅の計画の際に県産材を使うことを前提とする話が多くなりました。ただ、せっかく木を使って家を建てるのだから、その木の使い方をもっと考えていきたいと思うのです。
 
・ 身の廻りにあるものをつかって、できるだけその素材にあった建て方で建てる。
   木は木のままに、・・・。
・ 廻りへの負担ができるだけ少ない建物
   加工を少なく、運搬を少なく。
・ 解体時に再利用できる使い方
   素材をそのままに、木を木で留める。
 
山林のある人はその手入れをします。消費する側では購入する製品が環境に対しての負荷ができるだけ少ないものを選びます。そして行政側では、その消費に対して負に働く要素(林道整備や利子補給など)に対して援助を行ないます。
木材の値段は、昭和50年ごろから下がっているといいます。県産材も使いやすくなったというわけですが、木を伐った後の山の再生に回す余力がないと、せっかく県産材を使った意味がありません。
システムキッチンやユニットバスは見積で設定しているものよりもグレードが高くなって、金額にして50万以上の追加になることもあります。あるいは、床柱などの化粧材でも同じ事が言えるかもしれません。それに比べて構造本体である木材のことになると、産地のことや強度のこと・乾燥のことなどで打合せをして決めていくと言うことは、あまり多くはありません。これは、私たちの責任でもあるのだと思います。
前述の「木の欠点と思われている部分」は、実際に暮らすときには余り支障がないものだったりします。それを頭において木の使い方を考えていくと、もっともっと住み心地のいい家ができると思っています。