ネタ切れするまで続く
木曜日は木の話
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2007年2月

その176  ネコの日          2月22日
 
家には一匹の猫がいます。2000年の夏に国際村でイベントがあった時に、色んなお店と一緒に出ていた『この子猫をもらってください!』の人から譲ってもらってきたものです。家では前から猫を飼っていて、私が知る限りこの猫で5代目です。
猫は鎖につないでおくわけでもないのでいつの間にかいなくなってそのまま帰ってこなくなったり、病気が元で死んでしまったりで、なかなか天寿を全うすることは無いものでした。でも、最初のの猫は長生きで、私が小さい頃から15年はいたと思います。最後は動けなくなって、茶の間の箱の中で死んでいきました。
この猫は家を建て替えする前の古い家のときからいたわけで、その頃の猫といえば柱でツメを研ぐのが仕事、叱られても怒鳴られても負けずにガリガリやるわけです。でも、そのおかげでネズミが入ってこないと言う恩恵もあるわけで、人間と猫の共存と言ったところでしょうか。この猫は当然家を建て替えてからもガリガリやるわけですが、さすがに新築した家ではますます厳しくなったのと、年齢もそれなりになってきたからか、それほどひどい傷は残っていません。
最近では木造住宅でも柱が一本も見えない家が多くあります。???と思うのですが、鉄骨造や鉄筋コンクリート造がすべてむき出しになっているわけではないので、そんなものかとも思ってしまうところもあります。
鉄骨やコンクリートでも仕上げとして意匠的に躯体を現しにする場合もありますが、決して触れていて気持ちがいいとは思いませんよね(私だけですか)。でも木の柱や壁は(できれば無塗装)、夏に触ればサラッとさっぱり涼しげに、冬に触ればホンワリ暖かく感じる、んぅー、なんといい材料でしょう。猫がツメを研ぎたくなる気持ちとは関係ないでしょうが、私も真似をしたくなります。
家の洗面台の前には桐の板が置いてあります。フローリングは既製品の合板で塗装してありますが、朝晩の歯磨きはその桐の板に裸足で乗っかっています。高気密でもなくオール電化でも全室暖房でもないなかで冬でも暖かく感じる桐の板は、なんとも不思議に思えます。
よく猫好きか犬好きかと言うような話が出たりしますが、私はのんびり日向ぼっこしたり、畑でネズミを追っかけたりして気ままに暮らしている(ように見える)猫が好きですね。今日2月22日はネコの日だそうです。いつからそうなったのかわかりませんが、そのずっと前から私の誕生日でした。
 
追記
先週と先々週に連続で水曜日・木曜日続けての研修があったので、木の話をお休みしました。



その175  地域産木材          2月1日
 
何年か前に赤川土手の桜の木を、老朽化のせいもあって伐採したことがありました。その作業を見ていたイトコ(女性)がその桜の木が欲しいという事で、私に手伝ってくれと言ってきました。何にするわけでもなく、丸太や枝を飾っておくという事でした。軽トラックにチェンソウとヘルメットを積んでそのイトコと一緒に土手に行き、そこで作業している人に断って邪魔にならないように何本かの丸太を伐ってもらってきました。
単なる桜の木、なんでそんな事をしてとっておくのか?それは、その木を見るたびに赤川土手のどっしりと太い桜の木や満開の桜を思い出せるから、飾っておいても、あそこにあったあの桜の木だとわかる(安心感か優越感?)から、とのことでした。
家をつくる場合も、山に行って使う木材を立ち木のときから見て、その木を伐採して乾燥して製材して、それを加工して建てる場合があります。その木を柱や梁・床板や壁などに使えば、いつでもその木が立っていた山のことが頭に浮かぶわけです。家にいながらにして森林浴の気分という訳ですね。
去年の12月に大工塾でよくいっしょになる大工さんと話をしていた時に、地域産木材の話題になりました。その大工さんが何年か前に、秋田で4・5年乾燥させた木材を使って埼玉に家を建てたのだそうです。少しヒビも入っていて充分乾燥しているはずの材料だったらしいのですが、建てた後に考えていた以上にヒビや変形がきて閉口したとのことでした。充分乾燥されていたはずのものでもそれまで以上にひびが入る、気候の違い、乾燥の度合いの違いだったのでしょうか。
住宅に限ることではありませんが、その地に住んでいる人がその地で調達したものを始末よく使って始末よく暮らす、地産地消なんて言葉にのっからなくても、『いいものはいい』という事でしょうか。
大工塾の会場は埼玉です。冬に行くと乾燥していると言うかホコリっぽいと言うか、私は喉と鼻が弱いのでマスクが手放せなくなります。やっぱり私は庄内産です。