ネタ切れするまで続く
木曜日は木の話
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2006年9月


その159  ヒノキ          9月28日
 
夏の間家では、茶の間と縁側の仕切りのガラス戸はずしておきます。元々きつい所があって、それをはめようとしたらやはりはまらなくて、仕方ないので削ることにしました。
戸首がある建具の首の下の部分を削るときは、際を削ることができる際ガンナを使います。今ではホームセンターでもそれほど高くない値段で売っています。(だいぶ前に買ったものなので値段は忘れました。)
シャラシャラと軽快な音で削っていると、何ともいえないいい香り、「んぅ、これはヒノキだ」。削ったカンナ屑は、両手に乗っかるほどの量です。せっかくなので、その香りを少し楽しむことにしました。
山に行って杉の皮をむいたときに、ペロンとうまく剥けたところを乾かしておいた半円の雨樋のような形になったもの、いつもは酒を飲むときにつまみをのせて使っていたのですが、それにカンナ屑をのせて茶の間に置きました。
広い部屋に置くとその香りは微々たるものですが、近くに行くとけっこういい香りがします。ちょっとしたアロマテラピー気分です。
ついでなので、秋田に行ったときにもらってきた杉の木をくり抜いたお猪口にもカンナ屑を入れて、車の中に入れておきました。こちらは少ない量ですが、狭い車の中なのでドアを開けたときにこれまたいい香りがします。
ちょっとくせになりそうですが、そのたびに建具を削るわけにもいかないので、よく桧を使う大工さんの現場に行ったときに、その端材をもらってこようと思っています。



その158  軒          9月21日
 
今年の焼畑のとき、火をつける前に草や枝を散らばしていると、右足のふくらはぎが「チクッ」。足長蜂に刺されてしまいました。足元に巣があったのを知らずに踏んづけそうになったいたのです。家の山でも、今年は蜂が多いなぁと思っていたところだったので、やはり今年は蜂が多い年なんだろうと勝手に思っていました。
家のまわりにはないだろうなぁと思い、軒裏を見ながら一回り、・・・ありませんでした。まさか事務所にはないだろうと思ってみたところ、・・・なんと、このちっちゃな事務所の軒下に足長蜂の巣が三個も、ぎょエェー!今までは一度も巣を作ったことはなかったのに。
一つは直径3cmほどで、これは紙袋を使ってポイッと取りました。他の二つは10cmクラスで、これはとても袋でポイッてな訳にはいきません。
殺虫剤を買ってきて、翌朝の明け方まだ蜂が活動しないうちに、シュウゥーーー・・・。ボロボロと蜂が落ちていきました。かなりの数でちょっとかわいそうでしたが、こればかりは仕方ありません。
蜂を退治した後の巣をとりながらふと思ったことは、『軒』と言う漢字、家の一部を示しているのに木偏とかでなく車偏、???なぜでしょう。ちょっと調べてみましたが、残念ながらわかりませんでした。
もうちょっと調べてみたいと思っていますが、わたくし今野、漢字(国語)はあまり好きなほうではありませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。



その157  高野槙:コウヤマキ          9月14日
 
世間では、天皇家に41年ぶりに生まれた男子の話題で沸いています。名前は「悠仁」だそうで、その意味だとか同じ字を名前に使っている有名人だとかが、テレビで放映されています。
私は、「少子化の時代に一人でも人口が増えていいことだけど、この子は人口の統計調査には、その数として載らないのだろうなぁ。」などと考えながら新聞を見ていると、この子の『お印』というものに、『高野槙』が決まったと書いてありました。
槙いえば、日本書紀にスサノオノミコトが日本を作ったときに自分の髪の毛を植えて4種類の木を作ったとあって、杉・楠・桧と、もう一つが槙です。その中で「杉と楠は船に、桧は宮殿に、槙は棺にせよ」とあります。
高野槙という木は紀伊半島の高野山のあたりにおおくみられるので付いた名前だそうです。東北・北海道にはほとんどないようで、この辺では建築用材としてもあまり目にしないですよね。成長が遅いので、庭木にすると樹形を長く保つことができるので良いそうですが、この辺で育たないのは残念です。
私も、槙という木を意識して使ったことはありません。でも、この字を名称に使っている和風玄関サッシ(アルミ)がありますから、昔からなじみのある木なのでしょう。私があまり知らないだけなのかもしれません。
高野槙の材質はというとあまりよく分からないのですが、ある程度耐水性があるようです。浴槽にも使われるそうで、検索してみたところ高野槙の浴槽を使っている温泉を見つけることができました。
分類からいうとスギ科になるそうで、強度や重さはスギより少し上といったところのようです。今度、ちょっと気をつけて高野槙の建材を探してみようかと思います。



その156  火[        9月7日
 
私は、冬になると毎日事務所で火鉢に炭火を熾します。木炭がたくさんあると、とっても裕福な気持ちになれます。ピザ窯の準備をしているときは、薪がたくさんあるととっても裕福な気持ちになります。お金があっても裕福な気持ちかもしれませんが、それとは全然違う、何ともいえない心地よさです。でも、灯油やガスが家にいっぱいあっても、そんな気持ちにはなりませんね。この違いは何なのでしょうか。やはり、少し手間がかかっても、自分の手で素性のわかることをしている、火を使って暮らしていると言う気持ちが、そこに沸いてくるからのような気がします。
ピザ窯で使う薪の量は、思ったよりも少ないものです。しかも、熾き火ができたら窯の上に移して、網をのせれば炭火焼ができるというおまけ付きです。
冷めた焼き魚を電子レンジでチンすると、温まりはするものの、なんか生臭いというか味が落ちますよね。同じ暖めるのでも、アルミホイルにくるんで火で暖めると、焼きたてとはいかなくても電子レンジで暖めたものに比べるとずっと美味しいです。やはり火には、気分だけでなく何かがあるようです。薪ストーブなんかがあれば、そんな暖め方も簡単にできるわけです。
この味の違いは魚の場合が一番顕著で、同じレンジでチンでも、ご飯なんかは全然ダイジョブですし、肉の場合も魚よりは味が落ちないようです。でも、やっぱり火で暖めたものにはかないません。
そんな生活の火を大切にできたら、心豊かな生活ができるような気がします。