地区の概要

 

本地区は、駒籠・大浦の二つの地域からなっている。南西に葉山や月山の山々を仰ぎ、眼前を山形県の母なる河「最上川」が悠々として流れている、水と緑に囲まれた静かな田園地帯として発展してきた。

大浦地区の子供たちは、昭和41年まで渡船通学であった。船の転覆事故を機に「つり橋」の架橋気運が高まり、昭和42年の完成をもって渡船通学は終了した。その後、昭和57年に待望久しい本架橋が完成し、子供たちの通学も安全が保障された。しかも、両地区住民の交流も盛んになり、融和感も深まってきた。

学校を取り巻く自然は、四季の変化に富み、しかも豊かで美しい。しかし冬期間は名にし負う豪雪地帯であり、毎日が雪との戦いである。

以前は専業農家が多い農村地帯であったが、近年はほとんど兼業農家である。また大工・左官を含む建設・建築業が他の地区と比べ多くなっている。以前からの職人の町の流れを受け継いでいるといえる。

また、高齢化の進む大石田町の中でも本地区は60歳以上の老齢人口の割合が高率で、お年寄りの多い地区である。児童の家族構成をみても、ほとんどが三世代家族からなっており、お年寄りの家庭における教育力に大いに期待されるところである。

地域住民の学校教育に対する関心は高く、PTA活動は会員となる保護者だけでなく、小学生のいない家庭も賛助会員として協力しており、地域、地区民あげて学校への協力支援は惜しまない地域である。

 

 

 

   学校の沿革

 

明治14年6月 鷹巣学校駒籠支校設立

  20年4月 駒籠簡易小学校と改称

  25年8月 駒籠尋常小学校と改称

  36年10月 駒籠部落・壇ノ浦(現在地)に移転

大正6年6月 増築

昭和3年10月  体操場、二階の一部増改築

  16年4月 亀井田村立第三国民学校と改称

  19年4月 高等科併設

  21年4月 藁口分校常置(1〜4年)

  22年4月 大浦分校常置

  22年4月 亀井田村立駒籠学校と改称

  30年1月 大石田町立駒籠小学校と改称

  32年1月 校舎改築

  36年4月 大浦分校2学級認可

  42年3月 大浦分校廃校(つり橋新設)

  45年10月 体育館改築

  47年7月 プール完成

  48年10月 藁口分校廃校

  52年10月 文部省へき地教育研究指定公開発表会

  56年10月 創立百周年記念事業

  57年4月 永久橋(大浦橋)の新設

  59年5月 グラウンドの拡張整備

  59年10月 大石田町教育委員会指定公開研究発表会「理科」

  60年6月 グラウンド防球ネット設置

  61年6月 プールのビニル張り替え

  63年4月 愛鳥モデル校の指定 

平成元年4月 奉仕等体験学習研究推進校(文部省・町教育委員会指定)

  2年10月  文部省・町教育委員会指定「奉仕等体験学習」公開研究発表会

  3年4月 大石田町「ふるさと広場」指定

  5年2月 新校舎完成

  5年6月 プールのビニル張り替え及び笠木取り替え

  5年7月 新校舎落成記念式典・祝賀会

  6年4月 2・3年が複式学級となり、5学級となる

  7年4月 3・4年が複式学級となり、5学級となる

  7年12月 新体育館完成

  8年9月 頌徳碑移転

  9年4月 2・3年並びに3・4年が複式学級となり、4学級となる

  9年8月 生活科庭園造園

  10年4月 3・4年が複式学級となり、5学級となる

  10年9月 文部省・町教育委員会指定公開研究会中間発表

  11年10月 文部省・町教育委員会指定公開研究発表会

  12年4月 2・3年並びに4・5年が複式学級となり、4学級となる

  12年6月 プールのビニル張り替え及び笠木取り替え

  13年4月 3・4年並びに5・6年が複式学級となり、4学級となる

  13年6月 創立120周年記念式典並びに記念事業

  14年4月 2・3年並びに4・5年が複式学級となり、4学級となる

  15年4月 3・4年並びに5・6年が複式学級となり、4学級となる

  15年4月 文部科学省表彰「読書活動優秀実践校」を受賞する

  

 

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