縄文の一夜 (サーラマンテVOL2)

《序章》 
 暮れ掛かった空が次第に色を変えていく。今しがた迄陽の光を全身でむさぼっていた草木達も、静かに夜を迎える準備に取りかかり始めた。しかし、狭い盆地を見渡せる場所にあるここサーラコタン(神の村)は、これから年に一度の祭りの夜を迎えようとしていた。村人達はそれぞれに祭りの準備に余念がなく、いつもは静かなこの村は活気に満ち溢れていた。村の広場には、祭りの主役となる様々な楽器達が、中央に積まれた薪を取り囲むようにほぼ円形に配され、その出番を待っている。特に今日は遠くユポポコタン(わらび座)より数名の客人がわざわざこの祭りの為に足を運んでくれた。より楽しい祭りになる予感が村人の心をひときわ浮き浮きとさせていた。 
 ピーッ。一瞬、ざわついた空気を切り裂くように、石笛が鳴った。いよいよ祭りの始まりだ。

《祈りの儀式》
 カピタン(村の長老)オミフが皆に集合を告げる。始まりの挨拶とともに、遠来の客人をねぎらい、より盛大な祭りとするように命じた。シヤーマ(巫女)クリンの登場である。聖なるマーヤム(山)にぬかづき、聖なる木ブナの小枝を打ち振りながらアッサーラ(神=自然)への祈りの呪文を唱える。そしてこの早春に桜の花を見ずして地に還った、偉大なる大長老、シッサーマを偲びこれからの村の平和と繁栄を誓う。村人もシヤーマに従い大地にぬかづき心からの祈りを捧げた。トーローヒャラーッ…祈りの曲『ガモス』の演奏が静かに始まった。

《火起こしの儀式》
 火起こしは祭りの大事な儀式であると同時に若者達の腕試しの場でもある。自称火起こし名人が数人名乗りを上げ一斉に火起こし棒を回し始めた。やがてそれぞれの火起こし器からは、きな臭い匂いとともに煙が立ち昇り、今度は煙が滲みた目から溢れる涙も汗も委細構わず一心に息を吹き掛ける。炎が見えた。歓声が上がる。一番乗りを遂げた若者は得意気に火の付いた松明を手にし薪に点火した。その力強い炎は、すでにうす暗くなった村をそして村人の心を赤く照らし始めた。ドドドドーン…大太鼓が地響きを立てる。悪霊払いの曲『バラエ』の演奏が始まる。

《高揚〜陶酔》
 草の葉先から朝露が一雫こぼれ落ちる。木々がそよぎ早起きの鳥達が朝の挨拶を始めた。東の空が次第に白さを増して…。自然と人間の逞しい営みを謳った『ドンコ』である。楢の木の音が仲間の木々にこだまし、太鼓の響きが赤い炎を揺らす。今日は乗っている。演奏をする若者の目がそう云っている。
 燃え盛る火を囲んだ楽器そして打ち手。その周りを取り囲むように車座になった村人達。今日の為に特別に仕込まれたパラウが先程から振舞われ始めた。草原に吹きわたる風を謳った『サッパ』そして軽やかな『ガンベ』即興もなかなか冴えている。今度は小さな蝶々の曲『テフマ』。優しい笛の音が周りの闇に溶けていく。
 かがり火の照り返しとパラウのせいで、赤みが増した顔のユポポコタンの一人が、ふいに立ち上がった。お返しに私たちの唄と踊りを披露したいと云う。村人達から一斉に拍手と歓声が上がった。ユポポの全員が立ち上がり短い挨拶の後それは始まった。初めて見聞きするその唄と踊りは、力強く時には優しくまたある時は面白可笑しく、いっぺんに村人達の心を捕らえた。手拍子を打ち鳴らし体を揺らす。いつの間にかたどたどしい手振りでその踊りの中に加わる者も出てきた。
 数曲の披露の後、太鼓の打ち手の一人が一緒にやってみたいと云い出した。サーラコタンとユポポコタンの合同の即興演奏である。双方の演奏者達が軽い打合せをする。最初の太鼓が単調な音を刻み始める。少しずつ音がかぶさって行く。なかなかすぐにはうまく乗れないようだ。だんだん演奏者達の目が輝き始める。うん、いいぞいいぞ!笛が旋律を奏で始める。もうひとつの笛もその笛の音に絡みついてきた。かけ声が掛かる。手拍子が鳴らされる。一人の合図をきっかけにして演奏の最後がうまくまとまり、大きな歓声と拍手のなか合同の演奏が終わった。
 次は恋の唄『レラ』である。この曲には踊りが付いているのだが、先程のユポポコタンの人達の踊りのほうが遥かにうまく、その振付をお願いしたらしい。演奏が始まり火の周りの若者達が踊り始める。そこに先程の踊りの名人が加わって行き少しずつそれが変化し始める。なかなか面白い踊りだ。何とかさまになって来た頃、踊り名人が他の村人達に手招きをした。村人達が立ち上がりその踊りの輪に加わる。ヤーイヤイヤイ…声を合わせ歌いながら手拍子を取り、段々にその輪が広がりついには楽器の周りでも踊り出した。みんないい顔をしている。炎は燃え盛り祭りは最高潮を迎えた。
 いきなり、力強い掛け声とともに祭りの最後を締めくくる『ゴエラ』が始まった。若者達は精一杯の声を張り上げ太鼓を打ち鳴らす。村人達もそれに合わせ始めた。その声は一つになり大きなうねりとなってマーヤムににこだました。

《静寂》
 広場の中央に燃え盛っていた炎も、今はチロチロ残り火となってくすぶっている。祭りの熱気を染み込ませた村の周りの木々達も、次第に深い闇の静けさに身を委ねようとしていた。しかし、それぞれのコタ(竪穴式住居)の中には心のほてりをなかなか鎮める事のできない村人達が、いつまでもその余韻を楽しんでいるのだった。
 祭りの夜、サーラコタンの時はゆっくりと、ゆっくりと過ぎていった。  

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