「金子達、うまくなったんじゃない?」

と、言うのがレコーディングを心配し、東京より駆け付けてくれたドラマー・古澤良治郎氏の第一声だった。
金子達の住む山形県長井市で、縄文時代の遺物があちこちから発掘されたのが1977〜81年。その太古から今に続く人の営みのエネルギーに突き動かされて、かどうかは定かではないが、血気盛んな(当時の)若者たちが、身の回りにある石や木、竹や土等自然の物を利用してオリジナルパーカッションを100種類も作り、仕事を終えると学校の体育館に集まっては太鼓を打ち鳴らし始めた。これが不幸の始まりで、練習後は決まって飲み会になるもんで家族からはブーイング、地元からも得体の知れない集団と恐れられ、“これではいけない”と、多少なりとも理解の輪を広げるべく発表会を開催。その際に古澤さんが長井に招かれ見届けている。これが1984年位だから、縄文太鼓は相当うまくなって当然だ!
リーダーの金子から、長い年月練習を重ね、楽器の改良も進み、オリジナル曲も増え、各地より演奏の依頼もちらほら来るようになる程には腕も上達したので、ここらで一生残る《音》をCD化したいと相談があった。全員シロートの割には理想が高い。ちゃんとしたプロのミュージシャンの様にレコーディングスタジオで、しかもデジタルで録音したい、なんて言うもんだから、さあ大変。費用の事、全員のスケジュールの事、それにこのグループの目玉ともいうべき太鼓がティンパニーより更にデカイ事。グランドピアノを搬入出来るスタジオですら入らない、と言う事実が判明!
そこで、山梨県は山中湖畔のエッグス&シェップスタジオの方々に無理をお願いした所、「スタジオの窓ガラスを外して楽器を搬入しましょう」と言って頂いた。有り難い。(井上さん、田村さん有り難うございました)とうとう、日本一の山・富士山の真下で録音する事に決定。演奏者が10名、楽器は大小50は下らない。
楽器車とバスを仕立てて早朝集合した彼らが、一番に持参した物は譜面でも楽器でもなく、酒と食料だった。まるで遠足である。しかし、さすがにスタジオに到着し、生まれて始めて見るその設備を前にして、皆、真顔になったのは言うまでもない。喋ってないと死んでしまう佐藤裕幸が、まるでシラフの時の青木宏一のように無口になってしまっている。まな板の鯉状態!徐々に「やるっきゃないぞ」との覚悟が湧いて来る。音のプロ達に囲まれた中で、普段通りの演奏を試みるも、いつもとは勝手が違う。戸惑いながら、おそるおそる自分達の演奏をプレイバックして聴いてみる。…信じられない位にいい“音”で纏まっている。素晴らしい録音機材のおかげという事を差し引いても、確実に15年余の時の積み重ねがそこに実を結んでいる。それぞれの出す素朴な音の中には太古の時代を想像させるばかりか、言葉に表現できない、独特のグルーヴ感が漂っている。きっと長い年月、彼等の目的意識と、彼等を奮起させ温かく見守ってきた郷土の環境諸々が、それらを創り出しているのではないかなぁと思った。
だから、よぉく聴いて下さい。音の向こうには、また何かが聞こえるのです。人間の根っこに響く音、それがこの縄文太鼓だと思います。


川村年勝 H.10.7月

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