縄文太鼓北海道公演ツアー


山形県長井市より『縄文太鼓グループ』が初来道する。

8/28
我々スタッフ3人は、彼らを新千歳空港に迎えるべく14:30に真駒内の我が家に集合した。まず、このツアーに随行するスタッフを紹介したい。

1号車(タウンエース)担当 竹島正志
“ネパールの怪しい商人”の異名をとる。グラフィックデザイナー、パラグライダーインストラクターの経歴を持つ。通称<ガチャピン>

1号車(ボンゴ)   担当 吉田泰三 
学童保育、障害をもった子供たちを預かったり、『放課後』『小どもたちの空』等のドキュメンタリー自主映画上映のため、全国を奔走する。アウトドアーの元祖であり、自らも鹿児島より北海道最北端宗谷岬まで、徒歩横断の経験あり。通称<ゾウさん>

腹が減っては戦が出来ない。私の作った手製のカレーライスをお腹に詰め、いざ出陣!
縄文人たち一行11人は、JAS-045便(山形15:15 新千歳16:20)で、予定より数分早く到着した。楽器車は別ルートで、津軽海峡を渡っている。
さあ『森の鼓動、太古の響きツアー』の始まりだ。
しかし、最初に向かった先はなぜか駒岡温泉という札幌市内の保養センターだった。
初フライトが2人、おまけに修学旅行以来北海道に来た者は、ほとんどいない。独特な“高ぶり”と観光気分を払拭して欲しいため、温泉に浸かり旅の疲れを和らげ、スタッフとの親睦、ツアー行程確認のためのミーティング(宴会)を持ちたかったからだ。

**縄文人は、用意周到**

宴会に必要なビール、酒のたぐい、つまみのナス漬け、乾き物などが夕食前のテーブルに並び、北海道の心地よい外気にも触れ、一同は既に盛り上がっているようだ。
5泊6日、4回公演を成功させるには、スタッフとのコミニュケーションや、行程を個々が把握しておく必要がある。ゆっくり温泉気分に浸って欲しい気持ちとともに、締まりのあるミーティングにしたいという思いがあり、宴会になる前に一人ひとり自己紹介をしながらこのツアーにかける意気込みを一言ずつ!

リーダーのカネコは、演奏者10名と、“記録”を含め各方面でケアーをしてくれる1名を加えた全員で、正真正銘の『縄文太鼓グループ』との信念を長年持ち続けている。誰が欠けてもいけない。

**ユニークなメンバーを紹介**

1) リーダー カネコ(金子俊郎 青果市場勤務)
このグループを20年間引率してきた立て役者。薄くなったオツムを見るとその苦労が並大抵でないことがわかる。本職顔負けの楽器創作技術を持っており、音楽的にも研究熱心。

2) サブリーダー ヒロ(佐藤裕幸 自動車整備工)
寝起きと共に明朗活発。一言でいうとうるさい!立て板に水+トタン屋根に豪雨のごとく一日中喋っている。喋りの中にブレスが見つからないほどだ!

3) オオカワラ(大河原文幸 JA職員米穀販売担当)
声がでかい、背も高い、心も広い、モノもでかい?大きいことはいいことだ!

4) カネオ(田中金雄 魚屋)
常に礼節である。120キロは有ろうかと思われる風貌通り、おだやかなれど大食漢!

5) アオキ(青木宏一 大工)
中近東方面から出稼ぎに来たのでは無い。生まれながらにして濃い顔をしているから間違われる!無類の酒好き!

6) ソンタ(孫田吉一 JA-SS所長)
縄文人にとって大切な火の元(かがり火、焚き火)の番をさせたら天下一品。安心なのだ!

7) カンノ(菅野雅彦 井戸掘り業)
平均的現代人の感覚で、淡々と事を運ぶ。楽器セットの時はおのずと中心になる!

8) コウジ(佐藤光二 市職員)
失語症を患っているのかとおもうほど無口であるが、はじけると凄い!

9) イサオ(金子勲 プロミュージシャン志望)
最年少にして、音楽的センスはメンバー随一!

10) ムツミ(中村睦 コンピューターソフト会社)
文字通り紅一点。掃きだめに鶴とは、むっちゃんのためにある言葉!

11) ウツギ(宇津木正紀 役所勤務)
写真、記録、VTR、通訳?、案内等、重責を担う立場であるからして、一見?冷静沈着!

**縄文人たちは2つの顔をもつ**

一通りそれぞれが決意を述べたのち、ツアーの成功を祈念して乾杯となった。
突然、生真面目な顔つきだったみんなの表情が一変した。お預けを食っていた子供のように怒濤のごとく、飲む、飲む、食らう、そしてまた飲む。とうとう念願の北海道に来たんだという安堵の気持ちが、うまい酒、楽しい宴となっていく。ヒロがまくし立て、コウジは沈黙を守る。でも飲むものは互いにしっかり飲む。
2時間足らずの間に、500ミリビール24本、日本酒3本が空いた。夜の顔の方が若干生き生きとしているように感じた。明日が本番初日ということもあり、23:00には初日の宴を閉めた。あっという間に宴会の後片づけをして、それぞれ割り振られた女性部屋、イビキ部屋、雑居部屋とに離散して就寝。

スタッフ部屋での会話。
私「あんな奴らだけど最後までよろしく」
ゾウさん「いやー明日からたのしみだなあー」
ガチャピン「いったいどうなるんでしょうネ?」


**縄文人の朝は早い**

8/29

7:00〜9:00の間に朝食がセットされていた。私も頑張って8:30にはレストランに降りたのだが、ほとんどのメンバーは既に朝食を済ませ朝風呂に入ったあとだった。
時間がたっぷりあることもあり、予定より早めに保養所を出発し、中央市場(通称朝市)で、お土産物色の時間を取ることができた。街なかに二条市場という観光名所があるが、そこよりは鮮度、値段共にすぐれている。カニ、ウニ、イクラ、ホッケ、メロン等々、北海道の幸を買いあさる縄文人たちの姿は、実にあどけない。
やがて昼食時となると、必ず「腹減ったあ」。
楽器車到着までの時間を利用し、札幌市役所内食堂へ。天気は保ちそうだ!セッティング前に縄文衣装に着がえてもらって2班に別れ、大通り1丁目から10丁目までチラシ配り。道行く人たちに、公園内で昼食をしている人たちに「今日これから演奏します。山形から来ました。15:00から6丁目野外ステージにおいでください」縄文グループの楽器たちは、公園内を通る人たちの目を奪うに十分な個性を持っている。なんてったって世界にひとつしかない純手製作品ばかりなワケだから。特に、直径1.5メートル、高さ90センチ、重さ350キロの栓の木(センノキ)の切り株に特大の牛皮を張った大太鼓は、それだけでも一見の価値はある。

音を出し始めると観客が集まり始めた。ベーシックには100人、立ち止まって観る人、歩きながら観る人たちを合わせると、観客は200人程になった。札幌のど真ん中から響く太鼓(太古)の音、PA(音響装置)を使用せず“生”なところが良い。札幌在住の山形県民、西洋人、和寒(わっさむ)から駆けつけてくれた人もいた。

TV局のカメラが回る。拍手がパラパラ、投げ銭もパラパラ。しかし、1時間20分のパフォーマンスはうまくいったと言える。山形から走ってきた楽器運送の青木さん佐藤さんの表情が明るい。「どうだ!これが山形の縄文太鼓の響きだゾ!」そんな顔つきが印象的だった。
搬出撤去後、1号車、2号車、楽器車(4t)の3台が連なり“縄文一座”となって、夕食と宿舎を提供してくれる滝川丸加高原を目指す。
夕食提供者の岸さんから携帯が入った。
「ひと風呂浴びて、さっぱりしてきたらどうですか?」

**縄文人は宴会好き**

月形温泉に浸かり、北海道の田園・畑などを窓越しに観ながら、再度滝川に向かう。
どの顔を見ても夕食時の酒のことしか頭にないこと位は、とうにお見通しだ。
やっと着いた。
夕食をご馳走してくれる岸さんは出張料理人である。使わなくなった集会所を5,000坪の土地付きで285万で購入したと話してくれた。リフォームされた集会所は、『自然の家』と名付けられ、地元の、変人奇人たちの寄り合い所になっている。ホールのようなスペースには、既に数々の肴と鍋が用意されていて、すぐに開宴となった。
必殺料理人が用意していてくれた全ての食べ物は、じつに新鮮で美味しかった。

**縄文人は芸達者**

ピアノがあり、ギターがある。そして太鼓にケーナ、オカリナ、チャランゴ。食べて飲むほどに陽気になる縄文人たちは芸達者だ。どんなに騒いでも周辺には何もない。虫の声と夜空の星だけ。
演奏あり、歌あり、踊りあり、セッションあり。トリをとった魚屋タナカが『俵星玄蕃』をノーカットで久々に披露した時には、運送屋の青木さんが、上半身裸で得体の知れない不思議な踊りを舞っていた。時は午前1時をまわり尚パワー全開!中締めを促して、宿舎を提供してくれた高橋さんのログハウスへ。

**縄文人は自己申告制**

文字通り丸太だけで作ったログハウスは、思っていたより広く一行16人がゆうゆう寝られた。イビキ、歯ギシリの縄文人は自ら迷惑のかからないスペースを確保し、床をひく。

8/30
早朝、ログハウス内に調理音がきこえる。オーナーの高橋さんは68才になられているという。「自由に!気ままに!」を、ことさら強調して我が家のようにリラックスしてくれと言われる。その高橋オーナーが朝食を作ってくれたのだ!
縄文人たちにとってはなによりのご好意で、本当に有り難かった。とにかく時間が来ると必ず腹が減るのだから。
清々しい朝が迎えられた。深酒をした割には残っていない。ガチャピンのふるまう“パイロゲン”のお陰かもしれない。
今日の演奏会場の美唄までは、高速を使わずとも1時間足らず。廃校になった山中の小学校を緑地公園に作り直した場所だ。
見渡す限り緑一色。点々と地元彫刻家(安田侃さん)のオブジェがそびえ、佇んでいる。敷きつめてある芝は上等な絨毯のように心地よい。その繊細な芝を荒らすわけにはいかないから、楽器車を公園内に乗り入れることができない。かなり遠くからあの巨大な太鼓を運ばなければならなかった。ところがまた時間だ。昼食の……。
ビニールシートを敷き、全員車座になって弁当ランチ。「さあ運ぶぞーっ!」の掛け声で、大太鼓を10人がかりで運ぶ。空には、無数のトンボが夏の終わりを告げながら舞っている。これから恐らく必要になるであろう、プロモーション用のビデオ撮影が始まる。

演奏は本番さながらにやってもらう。校舎の陰から、木立の中から、前方の丘の上から、水のほとりから、虫の声が、鳥の声が、次第に近づいてくる。これは彼らの演奏のプロローグ。虫の声も、鳥の鳴き声も、縄文人たちの創作した楽器の音だ。自然音が次第にリズムを感じながら舞台へと上がり、オオカワラが打ち鳴らす大太鼓に溶け込んでいく。『バラエ』というオープニング曲に始まり、来道のために作った新曲を含め全12曲。どの曲も素晴らしかった。自分が長年描いていた一枚の“絵”が完成された瞬間でもあった。
初老のご婦人が私にそっと近寄り、チリ紙に包んだ2枚の千円札を手渡してくれた。
さあ待望のラーメンと、酒造元での利き酒のご褒美をイザッ!
そのとき、演奏を聴きに来てくれていた岸さんが「もし良かったら、滝川の水口さんが、滝川松尾ジンギスカンをご馳走したいと言ってますが、どうします?」もちろんお言葉に甘えることとし、ラーメンがジンギスカンに、利き酒が生ビールに化けた。

松尾ジンギスカン本店には、アフリカからの留学生、研修生もいて、食べ放題を満喫させていただいた。
喋らないコウジに私が振る「コウジ、ウメガ?」コウジ「サイコウダ」ヒロ「コウジが喋ったぞ」和気あいあいだ。おなか満腹!
カネオが、ログハウスのオーナー高橋さんに山形の芋煮を作って食べさせたいと、材料を仕入れに途中のスーパーへ寄った。リーダーのカネコとムツミそしてウツギは、水口さんに連れられ、『昨日悲別で』と言う昔のTVドラマのロケ地へと見学ツアーに向かった。
その夜、メンバーを集めミーティングの時間を持った。いわゆるダメダシの時間と言って良い。明日の演奏会場は設備の整った一流のホールであること。そしてそこで新曲を中心にレコーディングを試みること。このツアーの軸を作ってくれたサンライズホールの漢(はた)さんが、2,000人しかいない町民の1割以上を動員してくれていること。子供たちとジョイント出来るかもしれないことなどを報告し、話し合った。
縄文人たちの顔つきが変わる。引き締まった顔で構成の変更や、演奏しているときの表情と態度、舞台への入り、出、など、細かいところまで話し合った。
“悲別ツアー”の3人組がログハウスに戻ったのは、残念ながらミーティングの終わった後だった。地元民の「すぐ近くだ」は、実は遠いのだ。
その夜半、カネコ、ムツミ、ヒロ、ガチャピンそしてゾウさんの5人は、ゾウさんの熱い思いを中心に、朝方近くまで話し込んだとのことだった。

8/31
カネオの包丁の音で目覚めた。既に芋煮の香りがログハウス中を支配している。洗面をする外の水は、冷たくて気持ちがよい。高橋オーナーは「こんな楽しい思いをさせて貰ったのは、久しぶりです。いつでも何度でも来てください」と、とても嬉しいご様子。
カネオの本格芋煮をたらふく食べ、出発。余り寝てないドライバーたちも気合い十分。まずは国道12号線で旭川まで、そして朝日町を目指し、我らが“縄文一座”は国道40号線をひた走る。

**縄文人はコンビニが不可欠**

誰かがトイレというと、全員がコンビニに降りる。ヒロはところかまわず立ちションが大好き。カネオはなにかを必ず買い入れ、2号車助手席でポリポリと間食。アオキは目を離すと必ずアルコール系を買い入れる。朝日町まで3度のコンビニタイム。考えてみるとこれまでの道のり、予算の関係もあり一切高速を使用していない。
市内から街、街から町、更に町から村へ穏やかに変化する雪のない北海道のドライブは、ほとんどストレスが貯まらない。和寒、士別を抜け朝日町に入った。
なぜか静かな興奮を覚える。楽屋入り口からホールに入ると漢さんの髭面が迎えてくれる。どうぞどうぞと誘ってくれた会議室のような空間に、漢さんの匂い(特製カレー)が充満している。挨拶もそこそこに、カレー皿、サラダ皿、スプーンを与えられ、縄文時間より1時間ずれた昼食。「旨い!」他の言葉は見つからない。

**縄文人も悩む**

出演者専用の楽屋をあてがわれた縄文人たち。これから行われるパフォーマンスの主役が、まさに自分たちであることを再確認したに違いない。
PAさん、照明さんとの顔合わせ。そして舞台セッティング。全ての段取りがプロと同じだ。私もついその気になり、次から次に照明、PAにリクエストを出す。新曲をさらった後、ゲネプロ(本番さながらのリハ)に入る。どんな細かい音も聞こえるホールの音響設計、ましてやリハーサルからテープは廻っている。縄文人たちに初めてのプレッシャーが、ずっしりとのしかかる。

ムツミが後ずさりしながら言った。「私じゃない方がいい、私出来ないヨ」
ムツミが担当している楽器は、節を抜き無数の竹ひごを突き刺した竹筒の中に、たくさんの小石を入れたものだ。それを上下することで潮騒のような、清らかな音を出す楽器である。しかし、小石の落ち方はその度ごとに違うから、リズムに合わせるのはどんな名手でも至難の業に違いない。
新曲の大太鼓を担当するコウジも、オンで打つかシンコペーションを感じるか、音楽的にはとても難しい。演奏する縄文人の感性のみが、彼らの音楽形態を形作る。自然音をテーマにした自家製楽器でのアンサンブルは、音楽理論的には難し過ぎるのだ。しかし彼らは、20年の積み重ねのなかで自然に会得してきた、理論ではない独自の奏法を用いている。だからここまでまとまってきたのだと思う。
譜面無し、感じたそのままを表現する。

ステージ上で立ちすくむ縄文人たち。ゲネプロは中断された。仕方ない。どのような方法で脱却するのか、私は介入をやめた。ゾウさんもガチャピンも心配そうに見守っている。
絶妙のタイミングで、漢さんが自分で茹でたトウキビを楽屋に。むさぼり食べる縄文人たち。
しばらくして、「子供たちがいっぱい来てくれるようだ」との情報が入る。
誰ともなしに「よし、やるべ!」「いつもとおんなじに楽しむべ!」「ほだ!持ってきた縄文服、子供たちに着てもらうべ!」

本番30分前にスタッフの打ち合わせ確認をした。楽屋では「やんべっ!オウッ!」の声。かくして本番!

ムツミが軽やかに竹筒を上下する。コウジがリズムガイドの大太鼓を打つ。後打ちでソンタがしっかりフォローする。アオキの音が生き生きと響く。オオカワラの出す一音に、さらに腰が入る。

舞台上の縄文人たちの表情が豊かだ。楽しそうだ!ノッてる!次第に観客(縄文の村人)と一体化してくる。来場の子供たちの顔からは緊張が消え、手拍子、大声の歌。小さな楽器を与えると一緒に叩く。そして一緒に踊り始める。カネコがメンバー紹介をした。一人ひとりに大きな拍手。さらに満場のアンコールも頂いた。演奏終了後、舞台に駆け上がった子供たちは、もはや楽器から離れない。
この様を見届けていたゾウさんの目が潤んでいた。きっと記録係ウツギも同じだったに違いない。そして私も……。
かくして縄文パワーは、朝日町サンライズホールで圧倒的に炸裂した。

**縄文人はタフ**

楽器搬出を手伝ってくれた地元岩尾内太鼓との、親睦を兼ねた打ち上げが手際よく用意されていた。スタイルは違うが両太鼓グループの触れ合いは、とても意義深いものがあった。イサオのケーナと岩尾内太鼓のジョイントから始まり、打ち上げの場はセッションの場となった。
長い移動、緊張感いっぱいのステージと、たっぷり3日分のエネルギーは消費したはずの縄文人たちなのに、打ち上げとなれば話は別。コイツら、いったい……。

夜も更け、今日の成功をスタッフ3人だけで乾杯することにした。まだ開いている数少ない店のひとつに案内してもらい、ドアを開けた。すると、な、なんとそこには、すでに縄文人たちと地元太鼓集団が盛大に盛り上がっているではないか!
驚くべきパワー!驚きは恐怖へと変わる。店にあったカラオケでは、カンノが、カネオが、アオキが、カネコが、そしてヒロが歌う、叫ぶ。
極めつきは、あの喋らないコウジが「ノッテルか〜い!」
清志郎の『雨上がりの夜空に』を激唱。 お、恐れ入りました。

9/1
朝10:00に朝日町を後にした。次の目的地は当別町である。1号車内は、幸いにもやかましいヒロの声が潰れ、連日よりいくらか静かである。昨晩のことが浮かんできて、ガチャピンと私は思いだし笑いをしながらの運転。
2号車内は、数年飲んでなかったリーダーカネコが飲んでしまい、大分調子が悪そうだ。みんなぐっすり寝てしまっている。雲が多い。なんとか今日いっぱい保って欲しい。「雨よ、降らないでくれ」願いながら走った。

**縄文人は必ず3度メシを食う**

「ネー腹減んない?」「ちょっと空いた気分だよネ」11:40分のこと。
もう少し目的地に近いところで昼食をとる予定だったが、縄文人は時間通り腹が空くらしい。やむなく砂川の道の駅で停車した。このレストランと土産コーナーはお粗末だった。ソンタの頭の中はラーメンが支配していた。しかしメニューにラーメンは、なかった。北海道では珍しいことである。ソンタは少し不機嫌らしい。
私は少しでも早めに演奏会場となる現場を見たかった。先を急ごう。
15:00に当別駅で主催者の高比良さんと合流し、宿舎となるスターライト会館に到着。手荷物だけ置き基線川ほとりの演奏会場に直行する。

基線川の土手縁を数メートル降りると、河川敷に石を敷きつめたスペースがある。ここが今日の演奏会場『めだかの広場』である。
川の両サイドには原生林が茂っている。まず、出来るだけ会場近くの土手の上に楽器車を乗り入れる。そしてクレーン車の到着を待つ。大太鼓以外は人海作戦で何度も土手上〜土手下に運ぶ。眼下のステージがキャンバスに見える。次第に絵が描かれるように楽器がセットされていく。電源ジェネレーターが設置され、照明の準備も進む。クレーン車で大太鼓がステージ中央に降ろされた。絵は完成された。土手伝いに観客がひとりふたりと集まってくる。町内の小さなお祭りのような雰囲気だ。

夕暮れ時、原生林の中からそれぞれの楽器を鳴らしながら縄文人たちが現れる。これが、主催者である高比良さんのイメージしたシーン、そのものだったに違いない。
演奏が進むに連れ、土手縁には、たくさんの観客が集まり始めた。土手の上から見下ろして感じたのは、縄文人形の勢揃い。対岸からも同じことを思った。可愛い小粒の縄文人形が動いたり音を出したり、子供の絵本のページをめくるような楽しさがあった。
クレーン車の叔父さんと思っていた白木さんは、主催者グループの主要な一人だった。

まず汗を流そう。温泉は入浴料が1,900円とのこと。無駄遣いはできない。銭湯(370円)に案内してもらい、野外の汗を洗い落とす。町内の集会所のようなスターライト会館には、奥さんグループが石狩鍋を用意してくれていた。本場で食べる石狩鍋は、ひと味もふた味も違う。滝川グループや、新聞記事を見て来てくれた、富良野や余市の若者たちも乾杯を共にした。
「この会館は住宅地の一角ですから、あまり騒ぐと近所迷惑です」一喝を食らう。
早めに打ち上げを終了し、全行程で一番印象深かったことを、一人ずつ話してもらった。ツアーをやり遂げた偉大なる縄文人たちの表情は、清々しく美しく、艶々していた。生真面目に感想を述べる11人の顔。ふいにこみ上げるものがあり、胸がいっぱいになってしまった。
アオキの名言「感動が有る限り、オイラは続ける」「人生感動ありき!」

この日もイビキ組がまず疎開し床に着き、その後一人ひとり寝床に入る。みんなどんな思いで床に着いたのだろうか?どんな夢を見るのだろうか?
私には最後の仕事があった。プロミュージシャンを目指して上京すると決めた、イサオへのアドバイスだ。終わった安堵感と開放感が伴い、いつもより雄弁になっていた。
カネコ親子、ゾウさん、そして私。話は夜更けまで続いた。すぐ横で、ガチャピンがムツミにアクセサリーの編み方を教えている。その光景はいかにも自然で、ずーっとずーっと昔から一緒に暮らしてきた、同じ村の縄文人のようだった。

9/2
早朝、高比良さんが蕎麦を打って振る舞ってくれた。ご馳走様!
いよいよ見送りの日。札幌ラーメンでは名店の呼び声が高い、開店前の『すみれ』に行列を作り、ようやく念願のラーメンにありつくことができた。食後、トイレで隣り合わせになったソンタに「どうだった?」「えや〜、うめがった!」
良かった良かった。

新千歳空港での別れはイヤだった。
音楽って技術だけでも理論だけでも才能だけでもない。
自然体で、諦めず継続しながら楽しむ。
そんな教えを、アマチュアグループ『縄文太鼓』は、置いて行ってくれたのだった。

貴重な5泊6日。道内走行距離750キロ。

北海道は既に秋!

2002.9.11 川村年勝

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