縄文太鼓CD制作報告記(スタジオ編)


 出発前日、早々に最終の練習を切り上げ、チャーターしてある4tトラックに楽器を積み込む。俺達の場合はこれがひと仕事だ。
15年の間に作った楽器の数はちゃんと数えた事も無いけど、百は下らない筈だ。大きい仕掛けの奴は分解出来るが、一番の大物の太鼓は、直径150cm高さ90cm、樹齢250年の“栓の木”の切り株に特大の牛の皮を張ったものだ。その重さは350kg。これをトラックの荷台に上げなければならない。
 それぞれに、修学旅行前日の小学生の様な眠れない夜を過ごし、早朝5時の集合時間に駆けつける。10人のメンバーはどいつもこいつもハイテンションだ。
5時30分、俺達の夢を満載したマイクロバスと4tトラックの二台の車は、スタジオのある山中湖へと静かに出発した。3万円分のアルコールがほぼ空になる午後3時、予定よりかなり早い到着だった。これが少しでも遅れていたら、アルコールを買い込む為に高速を降りるはめになっていた事だろう。

 そのスタジオは、富士山が正面に見える丘に位置し、松林に囲まれたとても雰囲気のあるログハウスの建物だった。俺達の使うスタジオはその中でも一番大きな所で、宿泊所付きの離れになっている。いずれ飲んべでうるさい連中ばかりだから、これは有り難い。
 早速楽器を搬入、となる所だが、楽器がでかくて普通の入口からは入らない。まず外の樹脂で目張りされた二重サッシをはずす事から始めなければならなかった。
 楽器をセッティングしチューニングを済ませ、軽くリハーサル。流石にプロの使うスタジオだ。ライヴ過ぎずデッド過ぎず…。
 と、スタジオの向こうに見た事がある顔が…。古澤さんだっ!知ってる人は知ってる(当たり前か)ジャズドラマー古澤良治郎だ。俺達の事を心配して駆けつけてくれたのだ。感激だ。
 夕食の後、プロデューサーとエンジニアを囲んでミーティング。仮のマイクセッティングをし、一曲ずつサウンドチェック。皆、それぞれに緊張感が漂い始めている。
 そこにまたお客さんだ。プロカメラマンの井出情児さんが遊びに来てくれたのだ。早速バシャバシャ、シャッターを切り始めた。
 10時頃でリハーサルは終了したが、そのまま大人しく寝るような奴は一人も居ない。山中湖畔の酒屋で買い込んだ大量の酒類が底を尽くまで、我らの酒盛りはえんえんと続く…。
 古澤さんは明日仕事との事で泊らずに帰ったものの、プロデューサーの川村さんと井出さんを囲んだ酒宴は、俺を含んだ数人で続いた。学生の俺の息子も最後まで残っている。 話は結構深い所迄進んでいた。それぞれの人生観をじっくりとしみじみと語り合う。
 こういう“時”が好きだ。人との出会いはまさに一期一会だ。だから、大抵最後まで付き合ってしまう。酒も飲まずに…。

 エンジニアの田村くんとアシスタントの飯室くんがスタジオから上がってきた。今までマイクのセッティングをしていたとのこと。有り難い。
 部屋に戻ったのは2時を過ぎていた。明日は10時頃起きればいい。

 パリッ。ビシッ。バリッ。・・・何の音だ?・・・ビッ!ん?これはもしかしたら、乾燥したスタジオに置いたままの竹の割れる音かっ?!
 居ても立っても居られず、飛び起きてスタジオに降りる。沢山ある竹の楽器が片っ端から割れてる。笛を見てみる。ヒビが入ってしまっている。吹いても勿論音が出ない。全身の力が抜け、ボーゼンと立ちすくむ俺…。
 ハッと目が覚めた。夢だった。
 昨日の夕方、一人でスタジオに行ったら、乾燥の為太鼓の皮が張って時々音を立てていた。その印象が強かったのかも知れない。また目を閉じてもさっきの夢が気になって眠れない。
 今度は本当に起きてスタジオに降りた。一つ一つ確かめたが全部無事だった。良かった。
 まだ外は真っ暗だったが、目が冴えてしまった。しばらく俺のパートである笛の練習を続けた。
 ロビーに戻ると、メンバーである魚屋の田中が風呂から上がって来た所だった。お互い顔を見合わせ「職業病だね」と、照れ笑い。まだ5時半だ。朝風呂を浴び、明るくなって来た外を見ると、雲の上に富士山が顔を見せている。荘厳な美しさを感じる。思わず手を合わせ、今日の録音が無事進む事を祈らずにはいられなかった。
 11時半頃、この業界特有のブランチを食べ、1時からいよいよレコーディングの本番だ。
 何しろシロートの集団のこと、勢いでここまで来たのは良いけれど、本当にプレッシャーの中、普段通りの演奏が出来るのかまったく自信は無かった。でも、ここまで来たらもうやるしかない!

 そう、俺のやり方はいつもこうだ。とりあえずでっかい花火を打ち上げる。そしてなんとか周りの奴等を言いくるめ、引きずって来た。物事を慎重に考え、すべての段取りを付けてから動くと言うタイプではない。やらずに後悔するよりは、やって失敗した方がいい。今やりたい事は今しかやれない。でも元来ものぐさな性格だから、まずひとにその事を宣言する。そして言った事へのプレッシャーを原動力にするのだ。
 でも、今回はそう簡単には行かなかった。何しろ金が掛かるのだから。それも半端な額ではない。15年付き合ってきたメンバーとはいっても、その価値観は様々だ。色々な摩擦やぶつかり合いがあり、ほんの一週間前には、すわ空中分解か、という所まで行ってしまった。
 だが、信じれる事がひとつある。なによりもメンバー全員がこの縄文太鼓を好きだ、と言う事だ。

 まず一曲目『バラエ』のリハ。ミキサー室の川村さんから声が飛ぶ。「お前ら、なに急いでんだ?普段通り演れよ!」皆、緊張のあまり余裕が無く、曲の進行が速すぎたのだ。気を取り直しいよいよ本番テイク1。結構肩の力が抜けてきた。よしOKっ!
 ミキサー室に入りプレイバックを聞いてみる。実にいい音に録れている。この録音は、要するに俺達自身が納得できる演奏になっているかが問題なのだが、これはいい演奏だ。みんなの顔がほころんで来た。まずは滑り出し好調!

 二曲目『ガモス』。使用する楽器毎にマイクセッティングを変えサウンドチェック、そしてリハ。本番テイク1。あれ?笛がかすれる…。リハではまずまずだったのに、唇が乾いてしまっているのだ。途中でボツ。まさか、この俺が一番緊張してるのか?リーダーとして、これは情けない。余計プレッシャーが襲って来る。
 結局、テイク4迄行ってOKが出た。

 三曲目『ドンコ』。これは発足当初の最初の曲で、半年掛けて作った曲だ。15年の年季が入ってる分、一発でOK!うっしゃ!

 四曲目『サッパ』、五曲目『ヌッサ』と横笛・パンフルート・土笛が入る曲だ。これも俺のせいでかなり手間取る。

 考えてみると、作曲の手間が掛からないのが笛で旋律を奏でる曲だ。何時の間にか手間の掛かるパーカッションだけの曲から逃げていて、簡単な方に流れてしまっていた。そのツケが今まわって来た、と言う事か・・・。
 昨夜の寝不足、練習のし過ぎ、乾燥、そしてプレッシャーと、俺のコンディションは最悪になっていた。しかしその分、他のメンバーが元気の良いのが何よりの救いだ。度重なるNGにも、いやな顔も見せず軽口を叩きながら付き合ってくれている。・・・有り難い。

 六曲目『ガンベ』。少し長めのインターバルを取り、外の空気をいっぱい吸ってから取り掛かった。これは、簡単なリズムに笛がアドリヴで入って来る曲だ。気分転換が功を奏したか、アドリヴもうまく行った。一発OK!
 「じゃここで飯にするか!」プロデューサーから声が掛かる。もう午後7時を廻っていた。よしっ!あと四曲っ!

 みんな結構体力を消耗していた。でも食欲は衰えていない。相変わらず軽口を叩きながらワイワイガヤガヤの夕食だ。頼もしい。
 食堂には俺達の他にも、インディーズの連中と見受けられる3〜4グループのバンドがそれぞれに飯を食っていた。
 「隣に居るの“J-Walk”じゃない?」息子が言う。音楽は聴いた事があるが顔までは知らんから、そうかも知れないし、他人の空似かも知れない。
 「さあ、あと四曲、がんばろ〜っ!」誰からとも無く、そう声が掛かった。それぞれの想いを抱えながら、さすがに冷え込んで来た、スタジオへと続く暗い道を歩き出した。

 七曲目『……?』。三日前に出来たばかりの新曲で、まだ名前が付いていない。2m位のを筆頭に7本、節を貫いた竹をパンフルートの様に並べた楽器がメインだ。その並んだ片方の切断面を、スリッパの様なもので叩くと、バン、ボン、ブン……とベースの様な音を出す。この曲の為に作ったお気に入りの楽器である。出来たばかりの曲の為、リハの間にも色んなアイディアがプラスされて来る。
 縄文太鼓には基本的に楽譜はない。読める奴がいないと言うのも真相のひとつだが、演ってる間に少しずつ進化して行くと言うのが面白いからだ。
 この曲は笛がないので気楽である。これも一発でOK!

 八曲目『テフマ』。この曲は前述の『ヌッサ』とともにドキュメンタリー映像の為に作った曲だ。『ヌッサ』は、ブナ林の保護を訴える資料映像【源流の森の音楽会】の、『テフマ』は絶滅の危機に瀕したチョウチョの記録映画【小さな羽音】のテーマ曲である。
 これは、笛が三本絡む曲だ。相変わらず唇の状態が悪く、最初の俺のソロの部分でつまづいてしまう。情けない…。おまけに立っているのが苦痛になって来た。椅子に座ってやることにする。
 若いと思っていても、やはり40を過ぎた体は、既に老い始めているというのか…。情けない。
 気を取り直し、それでもテイク3でOKだった。

 九曲目『レラ』。これも最初にパンフルート、後半が横笛二本の曲だ。途中から唄が入り、盆踊りのように踊り出す軽快な曲である。この曲もテイク3でOK。

 いよいよ最後の曲『ゴエラ』だ。これは掛け声とともにいきなり始まる勢いのある曲だ。その掛け声とリズムのリードはやはり俺。でも、もう残すはこれ一曲。
川村さんも、メンバーの体力が既に限界を越しているのを知っていて、リハ無しの一発本番、と言う事になった。
 さあ集中だっ!思いっきり演ろう!
 うん、勢いのある良い仕上がりだ。

 終わったぁ〜っ!!!

 皆の顔に浮いていた疲労感は、緊張から解き放たれた安堵感と、やり遂げた深い満足感へと変わっていた。ミキサー室に入り、プレイバックを聞く。一曲一曲、歓声が上がる。ホントにやったんだと言う充実感が満ち溢れて来る。
 スタッフ、そしてずっとシャッターを切りながら見守っていてくれた井出さん達が、満面の笑みでねぎらってくれる。
 もう10時を廻っていた。さあ、打ち上げだぁ〜っ!
 「それじゃみんな並んで、はいっ、イェーイッ!」井出さんが、何故か“シェー”のポーズを取りながらシャッターを押す。
 このスタジオでレコーディングしたミュージシャンは、録音終了後ポラロイドで記念撮影をする事になっているらしい。その写真を振りかざしながら、スタジオと言う名の修羅場を後にする。

 母屋のロビーの壁には、思い思いのポーズのレコーディング完了の喜びが溢れた記念写真が、所狭しと貼られている。所々に勢いあまり、素っ裸で抱き合ったロッカー達の写真さえ見える。
 「えーと、メジャーなバンドは、っと…」ウルフルズとシャズナの写真を目敏く見つけ、俺達の両脇に貼り付け証拠写真を撮る。
 「ミュージシャン…なんだな、俺達も…」見合わせた三人の顔は、だらしなくニヤけていた。

 みんなの待つ離れのロビーに戻ると、打ち上げは既に佳境に入っていた。釜揚げの熱々のうどんに納豆をからめて食べる“ひきずりうどん”と“キムチ鍋”がメインディッシュである。その隙間をくまなく埋めるように、ありとあらゆるアルコールが並んでいる。ビール・ワイン・焼酎・日本酒・白酒・ウイスキー…。一体誰が飲むんだよ、こんなにぃ。
 一時間ほど遅れて、川村さん、エンジニア、その助手の三人が仲間入り。ダビングしたDATとカセットテープを持って来てくれた。全員揃った所で、何度目かの乾杯。俺もついに禁を破り、飲んだ。そのビールの美味いのなんの…。
 早速、カセットをセットし聞いてみる。数時間前の俺達の鼓動が、しんと静まり返ったロビーに流れ始めた。
 一曲目、二曲目、スピーカから流れて来る俺達の分身は、唐突に遠い記憶を呼び覚ます。楽しかった事辛かった事、その時々の空気の匂い、色々な人達との出会い…。その全ては、この“縄文太鼓”に関わって来なければ、絶対に体験出来なかった事ばかりだ。
 ふいに熱いものが込み上げて来る。周りを見ると、それぞれに照れ臭そうな少し潤んだ目が、何かを確かめるように見返して来る。
 最後の曲がエンディングを迎えた。ウオォーッと言う歓声と大きな拍手が巻き起こった。ひとりずつ、声を掛け合いながら固い握手を交わす。
 もう誰も、このハイテンションのキチガイ集団を鎮める事は出来ない…と思われたが、それぞれの体力はとうに限界を超していた。
 「ハァ〜イ皆さん、明日は全員7時起床ねっ!」と言う紅一点のマネージャーの美声が、皆をハッと我に帰らせた。

 夢うつつに賑やかな声が聞こえて来る。おっともう7時半だ。ロビーに降りると、ベランダからの朝日がとてもまぶしい。快晴だ。ふ、富士山だっ!雲ひとつ無い澄み切った青空に、富士山が凛としたその雄姿を見せていた。俺達へのご褒美、そして祝福に違いない。
 全員ベランダに整列し、霊峰富士をバックに記念撮影。

 発つ鳥あとを濁さず。大量の空瓶や燃えないゴミをバスに積み、楽器をトラックに載せ、それぞれの身繕いを終えると、出発の時間となった。
 遅く起きて来た川村さんと固い握手を交わし、二台の車はレコーディングスタジオ《EGGS&SHEP》をあとにした。

 だが、これで終わりではない。むしろこれからの仕事が本番だ。帰ったらまず、『ゴエラ』と言う曲で俺達の演奏にかぶせる、子供達の声の録音が待っている。三月末支払いのお金の借入手続き。ジャケットのデザインや中身をどうするか、そして写真撮影。資金回収の為の予約販売とその組織づくり。PRの方法…etc.

当分、ワクワクとした苦労が、俺達を待っている。

(スタジオ編) 了

1998.Feb  縄文太鼓  金子俊郎

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