みなも    わた   かぜ          ・
水面を渡る風のように


 湖面をなでた爽やかな風が、濃い緑を身に纏ったナラの木の小枝を、時折かすかに揺らしている。初夏の日差しがモザイク模様の木漏れ日となって、オカリナが置かれたテーブルを優しく照らしている。
 もう2〜3年くらいになるだろうか、ここバンガロー広場の高台のテーブルに陣取りオカリナを吹くことがオレのマイブームとなっている。

 オカリナとの出会いは中学生の頃のこと。何がきっかけだったのかは思い出せないが、あの素朴な音色に魅せられたのは間違いない。東京に出て一年目、ホームシックからか寮の近くにある中央高速を見下ろせる高台で童謡を吹いていた時期もあった。そしてここ7〜8年前からオレにとっての第三のブームがやってきた。オカリナ奏者の宗次郎の影響もあったし、なにせ大仕掛けの縄文太鼓と違って、一人で何処でも気軽に演奏できるということが一番の要因だったかも知れない。
 でもオカリナは音圧が強く、家の中で吹くと家族からは非難ゴウゴウ。仕方なく誰もいない最上川の土手や星の広場が、主な練習場となった。この“誰もいない”って言うところが微妙なトコロで、あくまでも練習だから人に聴かれるのは恥ずかしい、でも誰も聴いてくれないのはちょっと寂しい…。
 ある日、いつものように誰もいない星の広場で吹いていたら、犬を連れ散歩中のご婦人が立ち止まって聴いてくれていた。その時、過分の感想まで頂戴したことがひとつの踏み台となって、ホントは一番のお気に入りの場所だったが、いつも誰かが居ることで二の足を踏んでいたこのバンガロー広場の高台を、メインの練習の場とすることができたのだった。

 緑の空気を胸一杯に吸い込み気持ちをリラックスさせ、いつものように向こうにいる釣り人を意識しながら吹き始める。この緊張感が練習にとって大切な要素のひとつでもある。
 オカリナの音は、室内でよりこういう自然の中にこそ似合うものなのかも知れない。残響の度合いもまたちょうど良い。それよりもなによりも、このロケーションが曲想を想い以上に膨らませてくれるのだ。

 ここでは色んなエピソードが生まれた。気持ちよく吹いていたら小学生くらいの女の子が二人近づいて来た。高畠からやってきたグループだそうで、是非夜のキャンプファイヤーの時に来て演奏してくれ、とのこと。引率してきた指導者の方にもお願いされ夜8時頃、交流館前の満開の菜の花畑をバックに数曲演奏した。
 またあるときは、教会のグループの方たちと遭遇し演奏を聴いて貰ったが、後日その話をしたら是非聴いてみたいというお年を召したご婦人がいたとのことで、なんとかオレの所在を突き止め演奏をお願いされた。そして数日後、お約束通り老婦人に聴いていただくことが出来た。
 こんな事もあった。娘さんと二人でパンガロー広場に居たときに、娘さんが「どっかでオカリナの音がする。」「BGMでも流してるんかなぁ…。」と、お父さん。「でもあのBGM時々間違えてるよ?」と娘さんが言ったとか。「あの時吹いてたのがあなたでしたか。」と、バレて大笑いを。
 そうそう、吹いてるときにイキナリ携帯が鳴って、「リクエストをひとつ…。」なんてのがあった。近くの畑で働いていた友人の声だった。

 この高台から見てると、ホントに色んな人がここにやってくる。釣りを楽しむ人、楽しそうに堤の周辺を散策しているカップル、アヒルと戯れる子供たち、それをにこやかに見守る若い親たち、岸辺のベンチでボーッと湖面を眺める人。十人十色にここ古代の丘を楽しみ、そしていつの間にか癒されていくのかも知れない。きっとここほどリピーターの多い公園はそんなにないんじゃないだろうか、と思えるほど、オレのように沢山の人たちがここをお気に入りの場所としているのに違いない。

 だいぶ前からホウボウに喋ってきた夢を、改めてここでも。バンガロー広場の北側、星の広場の東側の傾斜に広がるススキ野。あの傾斜地を一色の花で埋めてみたい。出来れば春は黄色の花が、秋はコスモスの紫色に。あそこは白川橋を越えたあたりからどこからでも見える場所である。そこが一色の花で覆われていたら…。その真ん中で、そよ風に揺れる花に囲まれながら、オカリナを吹いてみたい。

 たぶん色んな人がいるから、オレのオカリナの音がいらぬ雑音としか聞こえない人がいるかも知れない。そんな人にはホントに申し訳ないが、それでも晴れた気持ちの良い日にはここに来て思う存分吹いていたいと思う。

 オカリナの音が広がって行く、この高台から木立を抜け、そして堤の水面を渡る風のように…。

2005 OCT 縄文太鼓 代表 金子 俊郎

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