成島焼きは、上杉治憲(鷹山)公の殖産興業の一環として築かれたものと言われています。
  安永7年(1778年)相良清左衛門、立岩前五郎を瀬戸焼き御用掛りとして、相馬焼き陶工利兵衛により始められるが失敗が多く、天明元年(1781年)陶工工藤氏を抱え成島にて本格的生産に入る。以降、工藤氏代々により明治中頃まで焼き続けられる。
  大正時代から昭和10年頃まで、嵐田氏により再興されるものの諸事情により廃窯。昭和50年、遠藤太郎氏の再々興の依頼を受け、水野哲氏が築窯し、現在に至る。
  成島焼きは、黒い飴釉の上に藁白釉が美しく青く発色しているのが特徴です。水ガメ、漬物ガメ、皿、鉢、片口すず徳利、油つぼ等、少し厚手でしっかりした形の日用雑器が生産されています。