策の論●Free
Index

〜2001年9月

2001.07.02■澤田の論〜これからの国富論〜
2001.07.11■澤田の論〜選挙とインターネット〜

2001.08.07■澤田の論〜靖国問題を巡って〜
2001.08.09■DMJさんの論〜歴史認識-1〜DMJさんの論〜歴史認識-2〜
2001.08.10■
DMJさんの論〜歴史認識-3〜DMJさんの論〜歴史認識-4〜澤田の論〜学ぶべき歴史とは?〜
2001.08.11■狸巣庵主人さんの論
2001.08.15■澤田の論〜学ぶべき歴史とは?2〜
2001.08.17■澤田の論〜歴史から学ぶ物は?3〜

2001.09.03■
澤田の論〜最近考える事〜
2001.09.12■澤田の論〜恐ろしい事件〜
2001.09.13■澤田の論〜宗教戦争への関与〜
2001.09.17■DMJさんの論〜テロ事件について〜
2001.09.18■澤田の論〜ある雑感〜
2001.09.19■真愚さんの論〜千載一隅〜クレアさんの論〜日本を防衛しない日本〜」/「澤田の論〜show the flag〜
2001.09.20■澤田の論〜当面とはいつまで〜
2001.09.25■澤田の論〜原理主義〜
2001.09.26■クレアさんの論〜日本の外交支援のあり方〜」/「DMJさんの論〜日本の姿について想う事〜
2001.09.27■澤田の論〜よーく考えてみよう〜
2001.09.28■DMJさんの論〜憲法について〜
2001.09.29■澤田の論〜よーく考えてみようpart2〜


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Subject:澤田の論〜これからの国富論〜
Date: 2001.7.1


 最近このサイトで、国富を生む主体は都市なのか、他にもありうるのか、といった議論がされましたが、そもそも国富って何を指すものでしょう? アダム・スミスの「国富論」から当たり前に使われている言葉ですが、その正体は意外に分かり難いもののようです。PHP新書から出ている京都大学大学院人間環境学研究科教授である佐伯啓思教授の「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバリズム資本主義(上)」に拠れば、スミスは重商主義批判から「国富論」を書いたとの事です。重商主義の基本命題は“富とは貨幣なり”という事ですから、貨幣万能と捉える事が国富を考える時の絶対的な前提という事ではないのだろうと私は思います。
 エコマネー概論とのタイトルの文でも、貨幣経済を否定する事からエコマネーを考えているのではなく、行過ぎたマネー経済の是正としての並行通貨としての「エコマネー」という物を様々動かす事で、お金というものに振り回される事無く、自分達の幸せを形にする方法論を広く捉えて考察してみたいと考えているのです。国富を大きくする方法は、貿易のみではないとも思います。逆に、以前自民党総裁選挙での亀井前政調会長の主張への考察として書きましたが、貿易によるGDPの押し上げには、様々な制限要素があり、長期的に大きな成長を維持する事はかなり難しい時代となってきています。バブルの引き金になったプラザ合意も貿易収支の不均衡から、歳入超過である事の是正を求められた我が国が、内需中心の経済構造に転換を迫られてのことからでした。単純な形で表現すれば、製品を輸入して外貨を稼ぎ、その利益を国民で分け合う仕組みがあまりに強い事を外国から否定されたという事だろうと思います。外貨を稼ぐ事も世界の中での調和を崩す事無くという上手なやり方をしていかないと、ルール変更で折角積み重ねた財を自分達のために使う事なく、収奪されてしまうのが、今の世界経済なのではないでしょうか? どうしても国内である程度循環する事で経済を運営できる部分を増やしていく方向性が求められると考えられます。

 また国の名目上の豊かさが増える事と、実際の生きていく実感としての幸せ感との間に大きな乖離が出てきているのも前々から指摘されてきたところです。日本は経済的に豊かであるのだから、何をするにもお金で貢献して欲しいと言われて、様々やってきました。そうした貢献も出来うる事は今後も継続するべきだと思いますが、貿易収支を大きく黒字にする事にその原資を求め続ける事は如何なものかと思います。勿論資源の無い我が国は貿易立国以外の選択肢はその利益のシーズが製造物であろうと科学技術であろうとないのだろうと思いますが、国際的なバランスを失わない黒字の中でやり繰り出来る仕組みを内部の効率化、内需による経済循環型成長等で構築していく事が求められていると考えます。

 プラザ合意以後、公共土木事業にシフトしたのが、過去のそうした要求に対する処方箋だったのですが、内部の効率化が進まない事やそれに続く循環を産む力が弱い事で、結局財政による自転車操業的な物に陥って、どうにもならなくなったというのが、今までの経過なのだろうと思います。社会インフラとして、道路や橋をどんどん立派にする事で経済効果を産む時代ではなくなってきているのです。成熟という観点からすれば、その産業の中でしか価値を生み出さない投資ではなく、他の産業に広く波及効果を持ちうる物に投資をする事が求められるのが、成熟した国に求められている知恵なのだという事なのだと思います。そこで私が考えている物のキーワードは対人サービスの高度化をもたらす投資というものです。例えば、高齢化した社会での生活の質を落とさないためのインフラなどがそれに該当します。これからの日本は他の国に例を見ないような高齢社会に突入します。従来の産業生産人口を基準にした考えでは、当然働く人口が減って来る中で、減少する生産を働けないより多くの人口が分け合うという構図から将来に対する不安が高まり、不安からくる景気の停滞が問題を複雑化する悪循環を生み出す、そんな状況がまさに今の日本ではないでしょうか?実際の高齢者の生活を間近に見る事も核家族化の中で、殆んど無くなっている世代が、高齢化して今の基準で働けなくなった先に社会保障も信頼出来ないと、消費活動を抑制する事が景気の足を引っ張るという形で保障制度を揺るがす、そんな悪循環でどんどん暗い気分が強くなっているようです。

 確かに人間は年をとると様々な点で不自由な事が多くなってしまいます。また従来の捉え方からすると生産性を持った仕事が出来なくなる事も現実でしょう、しかし市場での価値がつかない労働にも、社会の中で意味ある事は本来沢山あるのではないでしょうか?地域の歴史を語り継ぐ事とか、若い頃からの経験を活かした地域活動とか、市場価値としてはあまり大きく評価の対象となっていない事でも、実際にはその事がある種の社会の安定に貢献している事などは結構あるように思います。そうした事の価値を見つける事で、老齢をただ生産活動の残りの時間としか見ていかない寒寒とした社会でない物に戻す努力も、必要な事だと思います。ほんのちょっとした事まで市場での商品に置き換えて、GDPがどうしたと言っていては、社会は不安を持つ事を商品化していると考えているように思います。制度としての社会保障論と同時に、本来自分達の手で賄えていた事まで、福祉として行政や産業に頼ってきた流れに少し棹さして、自分達でやる中で単なる負担ではない捉え方の出来る物へ転換する努力が出来ないものかと思います。社会インフラもそうした自立を支援するような投資をする事ならば、みんな納得するように思います。

 私達の町である鶴岡で今盛んに議論されてきている“歩いて暮らせる町作り”というコンセプトなども、単に老齢者への対応という事ではないのでしょうが、そうした側面での効用が大きいのではと思います。車を中心としたスピードを競う社会から、歩いてじっくりと生きる社会への転換といった時代の要請をどこか反映した試みなのではないかと考えます。そうした地域社会の受け皿の充実無しに制度を弄ってばかりいても、不安が小さくなる状況ではないように思います。つぎはぎだらけの今の社会保障制度を、じっくりみんなの納得のいく制度に変えていくのには、そこでの調整を冷静に受け止める余裕が地域のあり方などに生まれる仕込作りと並行して考えられないと、自分が損か得かという視点からの争奪戦の様相を呈して、安心の出来る議論になり難いように思います。

 国富という言葉から大分離れたような事を書いているように思われるかもしれませんが、豊かになる事が何を目指しているのか? という点での共感が多くの人で共有されないところで名目の豊かさをただ追い求めてきた我が国の戦後からそろそろ脱却するという事を大きな視点として持つ事を考え、提案していきたいと思っています。
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Subject:「澤田の論〜選挙とインターネット〜」
Date: 2001.7.11


 公職選挙法とインターネットによる選挙活動の関係について、参議院選挙後に総務省で検討に入るとの記事が出ていました。インターネットによる政治への関与を公職選挙法との兼ね合いでどのように規定するか、という事はこのサイトのあり方にも関係する事なので、少し興味を持って見ているのですが、現行の法律は公平な競争を妨げないようにという精神から?知名度のない候補者が様々な方法で、自分の政策を訴える機会を奪っています。資金力がある候補者がどんどん制限なく広報活動をする事を認めた場合、アメリカの大統領選挙のような資金力がある物が勝つ選挙になる事が心配されるとの声がありますが、インターネットであれば、そうした莫大な資金を持たない人でも広報活動が出来る事から、うまく取り入れて事が求められていると考えます。

 選挙期間中のインターネットによる広報活動は、微妙な物になりそうです。特定の候補者に肩入れした事を書いて更新すると、頒布行為として戦況違反になってしまうケースも考えられます。そういった意味では、参議院選挙が公示された後のこのサイトでも内容において、違反と取られるような事は書かないように注意する必要がありそうです。

 公職選挙法は、お金がかかる選挙を止め様との主旨から様々規制を強めてきていますが、逆の効果としては新規参入というか、現職や地盤などを持つ人にある種の既得権を与えかねない要素を持っています。現在の制度では短い戦況期間中は、じっくり政策を訴える方法がほとんど有りませんし、あっても大きな政党にしか事実上活動が出来ないような制度になっています。今までの文書の配布や講演会を開いたりする政治活動では普段から政策を訴えていくには経費が膨大にかかる為に、普通の市民活動をしている人が訴えたい事があって選挙に立つ意思を相当前から固めて行動する事はかなり難しいでしょう。

 インターネットはそういった意味では、自分の政策を多くの人に非常に安価な形で発信する事が出来るツールで、民主主義の門戸をコストのかからない形で多くの人に開く可能性を秘めた物だと思います。IT化という物は組織論的には、意思疎通のフラット化という物を導き出す事で、効率的な意思決定を生み出す物ですが、政治においては直接的な民主主義をその特質上作り出す物だと思います。成熟した国民が増えていく過程で、どうしても活用すべきツールであろうと思います。参議院選挙の後の検討で、政治の活性化のためには是非前向きな活用を考えて、法律を政治参加を促すような方向で検討していただきたいと思います。

 またそれと同時に、選挙期間中だけ政治に関心を示す政治とのかかわり方でなく、普段に政治家に政策を問う事や、政策の積み上げに協力するような関与をする事が大切なのだと思います。今政治に対する関心は近年になく高まっています。その思いを政治家に届ける事が従来はかなり大変でしたが、インターネットで相当にその壁が低くなってきています。勿論そうした声を聞こうとする姿勢を持たない政治家に対しては、従来通りの接し方しか出来ませんが、こうしたツールの有効性を理解する政治家は急速に増えている状況ですから、選挙を重ねるたびに多くの国民の意思を確認しながらの政治が進んでいく事は間違いのない事だと思います。その状況を生かすためにも、ネット上でのマナー等に参加する人が節度を持つ事は、折角の便利なツールを生かすためにも是非とも考えていく必要を感じます。こうしたサイトを運営する事を経験してみて、そうした事への自覚が大切だとつくづく感じます。
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Subject:「澤田の論〜靖国問題を巡って〜」
Date: 2001.8.7


 8月15日の終戦記念日が近づいています。毎年この時期には同じように靖国神社への参拝を時の総理大臣や閣僚といった国の機関を担う公職にある政治家が、どのような対応をするのかが話題になります。そんな中でも今年は小泉総理が中国や韓国の強い反発があっても、参拝すると表明している事で一層注目されています。

 参拝に賛成の人は中国などの姿勢を内政干渉と受け取ったりしていますが、被害者が加害者へ無神経な事をするなと咎めているとの見方もあります。

 この問題はこの国におけるタブーに触れる面を持っているのだと思います。国家神道の象徴である靖国神社に小泉総理が出向く時に、個人的な思いで参拝するでは済まないのではないかと思います。宗教と国の関係、戦争責任の問題など冷静な議論が出来ずに来たこの国の根源に関わる問題を突きつけるテーマです。

 私の周囲でもこのテーマに関してどのように考えるかを議論する人は確実に増えています。そうした場面で感じるのは、歴史認識を構成する基礎知識が薄い事です。現時点の事とすれば、我が国が戦争という国家意思で命を捧げた人に対し、トップリーダーが頭を垂れて、鎮魂する事に他国が様々抗議をするのはおかしい、との考えも在りうるのでしょうが、鎮魂をする方法如何ではこのような物議を何故醸し出すのかという歴史に関しては、あまり理解していない人も結構多い気がしています。

 野中氏が中国に行って、中国側の考えを聞いてきた事がニュースになっています。その際の中国側の主張は「先の大戦は日本国民も中国人民も東南アジア諸国民もすべて被害者であり、一握りの軍国主義者によって悲惨な戦いになった」と指摘。そのうえで「そういうことを含めて歴史的な整理をしている我々の今日までの歩みを直視してほしい」という物との報道が為されている。ここでの一握りの軍国主義者とされている人たちが、A級戦犯という事なのでしょう。靖国神社にはそうした評価をされている人も祭られている為、中国等が、猛然と抗議してくる事となっているわけです。そこでA級戦犯という言葉が誰を指すかも今の20代の若い人たちはどの程度知っているのでしょうか? 日本の軍部の戦争裁判が極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判であることすら、聞いた事がない世代が少なからずこの国にいる事をどのように考えればいいのでしょうか? 戦争が平和への犯罪、人道に対する犯罪として裁かれたのは、ドイツでのニュルンベルク裁判と東京裁判が初めてであり、それまでの戦争は国家の権利との認識であった事は、本当にどれ位伝わっているのでしょうか?

 そうした歴史認識が若い人に育っていない事、もしかしたら意識的に育ててこなかった事の結果として、他国に対してだけではなく、私達の国の中でも、戦争の総括は先送りされてきたのではないかと考えています。当時の指導者達や国民がどのような状況において、どんな思いで戦争をしていたのか、日本に支配されたアジアの人たちはその当時の日本に対して、どう感じていたのか、戦後の歴史の中でそうした感情はどのように推移してきたのか、様々な思いがあるのだろうと思います。私自身の考え方では、そうした事を本当に知らしめて、その上でこれからどうするとの問題提起をしようと考えての今回の参拝の意志表示なのであれば、逃げずに議論すべきと考えています。

 私自身は日本人が戦争好きの国民であるとか、残虐非道の国民性を持っているというような形で、世界中の中で劣悪な国民であるかのような捉え方は、歴史をいろいろ学んでいくと少し違うのではと考えています。一部の軍国主義の人間が、という括り方もご都合主義的な感じがしています。戦争という極限状況の中で、様々な犯罪的な行動があった事は事実であろうと思いますが、歴史上の戦争で、その責任が戦勝国の論理でしか裁かれていない事を客観視しないで、自分達の国だけが戦争責任を逃れているかのように卑下する事で、自分の国に対する嫌悪感を募らせる事もすべきではないように思います。

 戦争がもたらした様々な悲惨な状況を、無かった事には決して出来ないのでしょうが、もしもその反省を本当にするというのであれば、何があったのかについて語り継ぎ、同じ過ちを繰り返さない為に何が出来るのかを、徹底的に議論しあうべきでしょう。中国がかつての一握りの軍国主義者の罪と、本当に考えているのでもないように思います。ただ、いつまでも全ての日本人に懺悔を求めても、前を向いた話にならないので、どこかで区切ってしまう事で、今後の対応を探っていると受け取る事が妥当な見方のように思います。そこに小泉総理が、そうした括りかたに異論ありとしてか、はたまた戦争に至る経緯から再度見直そうと考えたか、日本が自分達の国のあり方を根本から見直すために、議論を巻き起こそうとしているのか、もう少し今回の行動に関する意図を国民に示すべきではないでしょうか? どうも個人の思い等と言って、敢えて物議を起こす必要性に対する説明がない為に、ただ混乱を招いているようにしか受け取れない気がしています。

 誰が起こした戦争でも、その悲惨さの犠牲者が存在します。侵略と考える他国の人だけではなく、戦地に赴いた私達の先祖の人たちも、立場は違っても、戦争によって人生が狂ったのです。その戦争を誰が、どのような目的で起こしたのか?勝った負けたではなく、よくよく見つめなおさないといけないのだろうと思います。本来は他国に言われるからではなく、自分達の手でその事を再認識する必要があるのではないかと思います。その過程で、今の日本がどこに拠って立つ国になるのか、自分達の国の中で真剣に考える事があまりに無かったように思います。自分が今生きている事が過去の戦争とまるで無関係であるかのごとく、目先の生活の事ばかり考えてきたのかもしれません。将来のこの国のあり方と、過去のこの国のあり方に大きな断絶を残したままで、他の国と肩を伍してやっていく事は無理があるのではないでしょうか?特にアジアの国々とは経済的な繋がりを越えてやっていこうとすれば、私達自身が過去とどのように向き合って行こうとするのかは、必ず問われる場面があるように思います。そこで、何があったかも考えた事の無い国民が増えていく事は大変な問題でしょう。

 今教科書問題で大きな注目が集まっている訳ですが、近代の我が国の歴史をどのように若い世代に伝えていくのか、もっと早い時期から真剣に問題提起するべきだったのかもしれません。私達の国は素晴らしい国です。もっと若い人たちにこの国の歴史を伝えて、これからの世界において、大いに自信を持って生きていってほしいと思います。そのためにも、自分達の先達が為してきた事を良い点、悪い点ともにもっと学ぶ機会を作っていく責務が大人の世代にあるのではないでしょうか?歴史教科書を作ると言っている人たちの考え方は、今まで封印してきた歴史を明らかにしようとの試みとして、それなりに評価してもいいと私は考えます。ただ、思い入れが強すぎると言うか、それまでのタブー視への反動からか、逆に自国を過大視する向きもあって、相対化して自分達の国と特にアジアの国々と友好的な関係を維持していく時に妨げになりかねない部分があるように感じます。先日の「朝まで生テレビ」という番組で西尾幹二氏(国民の歴史の著者)が、戦争責任はないとの発言をされていたのは、あまりに自国本位の考えではないかと、驚きでした。

 日本にだけ戦争責任があるのではない、その事は主張すべき歴史認識でしょうが、幾多の悲劇を日本がアジアで引き起こした事への反省すら無視をするという考えでは、到底理解を得る事が出来ない話でしょう。自国を愛する事は大切な事ですが、関わりを持った他国への思いが無いのでは、西尾氏が多分嫌いであろうアメリカの一方的な歴史観と左程違わないように思います。

 神道の精神が日本人の心の基本であるとすれば、自分も大切、他者も大切でなければおかしいのです。国家神道と根源的な日本人のidentityを形づくっている精神的な拠り所としての神道は他者に対する思いやり、寛容の心の持ち方が決定的に違う気がします。国家神道を国をまとめる為の物として使った人たちが、その時代にどうしてそのようにしたのか、その背景などを検証する必要があるでしょう。長くなり過ぎたので、この話題は次回以降にまた書こうと思います。
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Subject:「歴史認識-1」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.8.8


DMJです。
 澤田さんの「論」を拝見させて頂きました。
  この手の話題は割と感情論になるケースが多く、その辺を危惧されているのか、かなり穏やかな文面に心配りされていると察します。
 そして、この問題を敢えて取り上げられた澤田さんに敬意を表します。

 昨今、幼児虐待や車内暴力など沢山の犯罪が多発しています。これは国策として行なわれているのでしょうか? 勿論、そんな事はありません。遵法精神や道徳心の高い人もいれば罪を犯す人もいるだけの事で、日本人が皆犯罪人であるという事でも、日本国が犯罪国家であるという事でもない訳です。
 戦争においても悪さをする不良軍人は居る訳で、個人の犯した罪と国家や軍の政策を分けて考えないと話がズレてしまいますし、また、ベースになるものがどこにあるのかで、結論が変わって来ます。
 太平洋戦争について考える時、太平洋戦争に至る一連の流れのスタートラインをどこに置くのか、東京裁判を是とするのか非とするのか等、ベースとなる前提によって歴史認識は大きく変わって来くでしょう。
 例えば、東京裁判を是とすれば日本は侵略国家でしょうし、非とすれば私達が学校で教わって来た歴史認識が根底から覆る可能性が出て来ます。

<スタ−トラインは日本開国>
ペリーが始めて浦賀に来航した際、応対に出た浦賀与力中島三郎助、中島の上役の香山榮左衛門、オランダ通詞堀達之助に対し、
「米人が米国の法律を遵守するのは、貴君が日本の国法を遵守するのと同じだ。日本は鎖国の国法を盾に通商を認めない。 それは天理に背く事あって、その罪は莫大なものである。通商に不承知ならば、我等は武器を以て天理に背く罪を正さんとするので、日本も鎖国の国法を盾に防戦するがよい。戦争になれば勝つのは必ず我等である。日本は敗けるのでその時に降伏を乞いたければ、このたび贈っておいた白旗を立てるがよろしい。そうしたら、アメリカは砲撃をやめ、軍艦を退かせ、和睦することにしよう。」
この様な論法で白旗を渡したそうです。
 開国を、恩恵として希願するのではなく権利として要求し、要求が聞き入れられなければ武力で決着をつけるという、欧米諸国の弱肉強食のルールを痛感させられた訳で、アヘン戦争で蹂躙された清国の状況に接していた幕府は、対応を間違えれば清国の二の舞になるとの危機感を抱き、苦慮したそうです。
 アメリカの要求を聞き入れなかったら「天理に背くの罪を糺さん」とするのは、現代のアメリカの外交手法も全く同じではないでしょうか。
 数年前にもボスニア紛争において、ある村で起きた虐殺事件をマスコミを使い世論を煽りNATO諸国を説得して爆撃を行ないましたが、その後の調査でその虐殺事件は全くのデッチ上げで、爆撃を敢行する為のアメリカの策略だった事が証明されたそうです。
 アメリカの非を責める声が幾らアメリカ国内で上がった処で、結局はそれを押し切って実行してしまうのがアメリカなのではないでしょうか。
 今も昔も常に各国の思惑と策略と力関係の中で国際社会が動いており、当時、体力(国力)の乏しい日本が開国によって始めてその荒海に投げ出され、溺死しない様に(植民地にされない様に)四苦八苦しながら泳げる人(欧米列強)を手本とし見様見真似で泳いで来たと思います。
 歴史は、極論においては、その時代を生きその出来事の当事者でない限り正確な真理は判らないと思うのですが、後世の私達が歴史を見る時、その出来事に至る原因とか背景とかが複雑に絡まったその『必然性』を、どれだけ多く持ち得るかにより「歴史認識」が大きく判れる処です。
 私の持ち得る情報では、開国から太平洋戦争に至る過程は、単なる領土拡大の野心から来る侵略行為ではなく、列強植民地時代における自国の安全保障の為の「自守自衛」の歴史と認識しています。

 冒頭の、「個人の成せる業と国策とは別」と言う前提の下でです。

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Subject:歴史認識-2」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.8.8


DMJです。
ちょっと長くなりますが、許して下さい。

<東京裁判>
 アメリカは日本に「東京裁判の結果を受け入れたら国際社会に復帰させてやる」という交換条件を突き付けて、サンフランシスコ講和条約を結んだそうです。
 「受け入れたら」という条件は何を意味しているのでしょうか? 裏を返せば、東京裁判がどんなものだったのかアメリカ自らが認めたと言う事ではないでしょうか?
 法定速度40kmの道路を速度40kmで走っていたとします。  ある日検問で止められ、「今日からこの道路の法定速度は30kmになりました。貴方は免許取得以来○○年の間40kmで走っていたので、速度違反で逮捕及び免許停止になります。過去○○年分の罰金を支払って下さい。」
 こんな事がもし起きたら、どうしましょう。
 この様に事後法で裁かれたら、誰だって唯々諾々と受け入れる訳にはいかないですよね。当然、異議申立てしますよね。 当時は未だ法に規定されていない罪を作り、日本を裁いたという事です。

 判事は全部で11名だったのですが、判事団で唯一国際法の学位を持つインドのパ−ル判事を除き、殆ど国際法の素人という人達で構成されていたそうです。

・ソ連のザリヤノフ判事とフランスのベルナ−ル判事は協定用語(裁判での公用語)である日本語も英語も理解出来ない、
・オ−ストラリアのウェップ裁判長とフィリピンのジャラニ判事は法定で審議する事件の関与者、
・オランダ・レ−リンク判事はユトレヒト大学のインド刑法教師
・中国の梅判事に至ってはそもそも裁判官でない

11名中、米国、英国、ソ連、中国、カナダ、ニュ−ジランドの6名の判事が下した判決が多数派として採用され、残りの5名が異なる意見書を提出したそうです。

オランダ・レ−リンク判事→「広田首相は無罪、他は減刑。 ナチスドイツの処刑と比して重過ぎる。」
フランス・ベルナ−ル判事→「この裁判は法の適用及び手続きにおいても誤りがある。」「11名の判事が一堂に集まって協議した事は一度も無い。」
インド・パ−ル判事→「この裁判は国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判に過ぎない。従って全員無罪である。」「戦勝国が敗戦国の指導者達を捕らえて、自分達に対して戦争をした事は犯罪であると称し、彼等を処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である。」「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為」

レーリング判事がその著書で述べているそうです。
 「我々は日本にいる間中、東京や横浜を始めとする都市に対する爆撃によって市民を大量焼殺した事が、念頭から離れなかった。我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争法規を徹底的に踏み躙った事を毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。勿論、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。東條が東京裁判は勝者による復讐劇だと言ったのは、まさに正しかった。」
 「殆どの被告が超一流の人物だった。」
 「日本人被告は一人として卑怯に振舞う事はなかった。皆、威厳に溢れていた。私は彼等を直接尋問する事は許されなかったが、二年間真正面から見据える所に座っていたので、その発言を聞き、挙動を観察する事が出来た。私には彼等が大義を守ろうとしている事が良く判った。彼等は我々が望んだ様に、見苦しく振舞わなかった。私達は圧倒された。」
 「連合国側の犯罪行為については、一切取り上げる事は許されなかった。」
 「ウェップ裁判長はしばしば泥酔して法廷にやって着ました。」
 「日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰っせられたが、その四半世紀も経たない内に、1960年に国連が植民地を保有する事を不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定するした。国連総会は民族自決の為の闘争を奨励し、『自由の戦士』を合法化し、国連加盟国に支援する様に求めた。」

パ−ル判事はご子息のプロサント氏へ
「裁判所が判事団に指令して、予め決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。更に、その様な事実があった事を極秘とする為に、誓約書への署名を強要された。」
詰り、裁判の前に判決は決まっていたと言う事だそうです。
パ−ル判事は断固として同調を拒否し続けて、判決文よりも長い「全員無罪の意見書」を提出したそうです。
他の判事が裁判中にも関わらず観光旅行や宴会を楽しんでいる間も、パ−ル判事はホテルに閉じこもり、調査と執筆に専念し、読破資料45000部、参考図書3000部に及んだそうです。

東京裁判から4年後に来日時に、
 「1950年のイギリス国際事情調査局に発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いてある。ニュルンベルグにおいては、裁判が終わって三ヶ月目に裁判の全貌を明かにし、判決理由書とその内容を発表した。然るに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全員有罪と判定し、私一人が無罪と判定した。私はその無罪理由と証拠を微細に説明した。然るに他の判事等は有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。恐らく明確に出来ないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌は未だに発表されていない。これでは感情によって裁いたと言われても何ら抗弁出来まい。」
「此の度の極東国債軍事裁判の最大の犠牲者は、『法の真理』である。例えば今、朝鮮戦線で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。しかし東京裁判において法の真理を蹂躙してしまった為に、中立裁判は開けず、国際法違反である細菌戦ひとつ裁く事が出来ないではないか。捕虜送還問題然り、戦犯釈放問題然りである。幾十万人の人権と生命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理に則って裁く事が出来ないとはどうした事か。」
 「戦争が犯罪であると言うのなら、今朝鮮で戦っている将軍を始めトル−マン、スタ−リン、李承晩、金日成、毛沢東に至るまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないと言うなら、何故日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。勝ったが故に正義で、負けたが故に罪悪と言うなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけが全てを決定する社会に、信頼も平和もあろうはずがない。我々は何よりもまず、この失われた『法の真理』を奪い返さなければならぬ。」
 「今後も世界に戦争が絶える事はないであろう。しかして、その度に国際法は弊履の如く破られるであろう。だが、国際軍事裁判は開かれる事なく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任は、東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果である事を、我々は忘れてはならない。」

 作家が本を書く際、その根拠を、証拠や証人が明確化され認知されている1段階から殆ど信憑性の無い6段階までに分けるそうです。そして1〜3段階までを参考にするそうです。
 東京裁判においてはアメリカ人弁護士23名を含む日本弁護団は、吟味された証拠を沢山提出しましたがその殆どを却下されたそうです。
 片や検察側は、出所不明や風門に近い証言に至る、4段階以下のものまでもが多数採用されたそうです。検察側証人は出廷義務も無く、偽証罪に問われる事も無かったそうです。

 
日本弁護団のアメリカ人弁護士が、アメリカの原爆投下について日本が裁かれている「人道に対する罪」を適用して追求した処、被告や弁護士など日本人のイヤホンから流れる通訳の言葉が全て停止させられ、暫く英語でのやり取りが続いたそうです。連合国の非を追求する事はその後一切認められなくなり、勿論裁判記録からも抹消されたそうです。

 他にも下記の様な連合国側の戦争犯罪・侵略行為があります。
・日本は1941年12月8日にアメリカに宣戦布告しましたが、アメリカはその数年前から中国国民党に対し物資武器援助だけでなく、表向きは義勇軍の言う名前で実は正規軍人の「フライング・タイガ−ス」と言う戦闘機隊を派遣して対日戦争を始めていました。
・アメリカが日本各都市に行った焼夷弾による無差別爆撃。
・1941年12月9日、オランダは日本へ宣戦布告しました。日本がオランダに宣戦布告したのは、翌年の1942年1月だそうです。
・日本はソ連と1946年までの不可侵条約を結んでいましたが、1945年8月8日、ソ連は条約を破棄して満州国境を越えて日本を攻撃しました。
・満州においてソ連は、民間人に対する暴行、略奪、レイプを行っています。
・ソ連が行ったシベリア抑留には民間人も含まれていたそうです。
・ソ連が千島を攻撃・占領したのは終戦後と聞きます。

 1950年10月15日、ウェ−キ島でトル−マン大統領と会見したマッカ−サ−は、東京裁判は誤りだったと報告しているそうです。

 アジア各地で行われた戦犯裁判はもっと酷かったそうです。
 罪状をデッチ上げる、弁護人はおろか通訳すら居ない状況で反論も出来ない、拷問で自白を強要させる、また、オ−ストラリアが管轄したラバウル裁判では、調べても何の罪状も出ない、住民も親日、と言う事で、インドネシアから来ていた出稼ぎ労働者を買収して証言させた事実もあるそうです。

 処刑されたある日本兵の裁判における言葉があります。
 「貴方達は一体どこの軍隊の話をしているのですか? 日本の軍隊において命令は絶対なのです。選択の余地なんて無いんです。」

 「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な大西洋横断一番乗りのリンドバ−グ氏は、太平洋戦争中に戦場を幾つか回っていたそうですが、各島を占領したアメリカ兵がハ−グ陸戦条約を無視し、投降した日本兵捕虜を拷問したり裁判無しに銃殺する現場を行く先々で目撃し、アメリカを強く非難したそうです。

 こうして何千もの人達が、スケ−プゴ−トとして復讐処刑されたそうです。
 私の読んだ何冊かの本には、これ以外にもこの様な事が沢山記載されていました。
 東京裁判及びその判決を否定するのが、私の知り得る情報から出た認識です。

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Subject:「歴史認識-3」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.8.10


DMJです。
 人種差別が当然とされていた当時、自主憲法を制定し、工業化を進め、軍備を整え、日露戦争で白人を打ち破り、人種差別撤廃を訴え、欧米列強と対等の口を叩き、有色人種で唯一白人と肩を並べ様としていた日本。欧米列強にとっては目障りで我慢が出来ない、潰したいと考えたのは仕方が無かったのかも知れません。だからオレンジ計画が策定され、必然的に太平洋戦争が始まり、日本が敗れ、復讐裁判と占領政策になったと、私の知り得た情報と知識において認識しています。これは各戦争における日本を正当化したり、欧米列強を怨んだり文句を言いたいのではなく、時代背景や歴史を知らずして現在を理解出来ないでしょうし、歴史から学ぶ事も出来ないと考えているからです。


<占領政策について>
 日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏したと教わって来ました。そう信じて来ました。
 実はポツダム宣言はその最終の第12項において日本軍隊だけは無条件降伏と明記されてはいますが、その他は条件付き降伏を勧告したもであり、第10項には「言論、宗教、思想の自由を保障」と記載されているそうです。また、ハーグ陸戦条約には、「占領軍は占領地の法律や憲法、宗教、教育には関与せず」となっているそうです。
 日本と同じく戦争に敗れたドイツの場合、占領軍が教育に口を挟もうとした際、国内の学者を総動員して反対の論陣を張り、ドイツ人の手でドイツの教育を守ったと言う話を本で読んだ記憶があります。
 これに対しマッカーサーのGHQは、報道管制、言論統制、個人の電話や手紙に至るまでの検閲、新憲法の制定、神道廃止、教育改革を行なったそうです。擁するにポツダム宣言もハーグ条約も全て無視し、言論、思想、宗教、教育、憲法など全てに干渉し、日本文化を抹消しようとした訳です。
 20項目に及ぶ報道や宣伝禁止事項には、連合国や占領政策や東京裁判に関する批判も含まれていますので、国民には真実は知らされず、GHQによって用意されたプロパガンダを真実だと国民は信じたそうです。戦後の基本となる国民の価値観がここで決まったのではないでしょうか。
 意義を唱える者には逮捕拘禁重労働を、マスコミには営業停止処分を科せたそうです。
 「ウォ−・ギルト・インフォメ−ション・プログラム」と言うのが、1945年12月から始まったそうです。
 日本人の価値観を変える為に、映画、新聞、教育など全てにおける情報操作だそうです。
 進歩的で自由な文明国・アメリカのイメ−ジが宣伝され、黒人差別など暗部は全てご法度、と言う具合だそうです。

   ・国民の皆さんは戦争被害者で、悪いのは軍部と政治指導者
   ・「国と為」とか「愛国心」は危険、軍国主義に繋がる
   ・「滅私奉公」も良くない、「個人主義」が素晴らしい
   ・教育勅語は軍国主義を醸成するもの
   ・明治憲法は軍国主義の憲法

 この様に戦前の日本は全て悪として植え付ける事を、特に徹底して行ったそうです。

 以前、「アメリカについて思う事」の一番最後に書きました「公」の心、これを否定している様に感じます。
 権利とは相対的なものですから、周りを無視して自分だけ尊重させると言うのは、権利の主張ではなく唯のわがまま・身勝手であり、争いの原因になるだけです。周りへの気配りや尊重は権利を主張する際の義務であり、両輪ですよね。

 教育勅語は何か軍国主義の権化みたいなイメ−ジがあり、嫌悪感を呼ぶと思います。原文を見ても昔の言葉ですから難しく、要約を見ないと良く判りませんでした。

原文:
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
要約:
「父母には孝養を尽くし、兄弟は仲良く夫婦は円満に暮らせ、友人は互いに信頼し合い、他人には恭しく(うやうやしく)己は慎み深く、博愛心を社会に広めよ、学問を修め、技能を修得し、知能を磨け、徳を積んで立派な人格を形成せよ、私利私欲ばかりを追求せず、公益を大切にして社会責任を果たせ、国家の基本法である憲法を重んじ、遵法精神を養え、一朝有事の際には国家に身を捧げ、永遠に天皇の御代が盛大となる事に貢献せよ」

 最後の天皇に関する一節は人それぞれ意見はあるにしても、他の部分は人が生きる上で当り前と言えば当り前、否定すべき事ではないと感じます。  私はこれが軍国主義に結びつくとは思えないのです。今の荒廃した世の中を見た時、欠如しているものが全てこの教育勅語には網羅されている様に感じます。皆さんはどう感じましたでしょうか。

 私の知り得たこれら情報により、
 「占領政策は国際法やポツダム宣言に敢えて違反してでも日本を骨抜きにする為に、日本の文化や美徳を全て否定する洗脳政策だった」との印象を拭えません。


そしてマッカーサーは、
「日本は四等国になった。 当分の間立ち上がれないであろう。」
とのコメントを残して日本を去ったそうです。占領政策=日本愚民化政策の証だと思います。


 
朝鮮戦争の経験からマッカーサーは、日本の今までの歴史的立場を始めて理解し、アメリカ帰国後の1951年5月3日のアメリカ上院軍事外交委員会の証言演説において、「質問No.5」に対して下記の様に答えたそうです。
 「(前半部省略)日本には絹産業以外には固有の産物はありませんでした。日本は綿が無い、羊毛が無い、石油が無い、錫が無い、ゴムが無い、その他原料が欠如し、それらの一切のものがアジア地区には存在していたのであります。もしこれらの原料の供給を断ち切られたらなば、1000万乃至1200万の失業者が出るのを日本は恐れていました。従って彼等が戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要から出たのであります。」
 アメリカも、日本を4等国にしたのは失敗であり、いち早く再軍備させて対共産圏に対応させるべきと方針を改めたそうです。しかし、軍備の放棄を詠うマッカーサーに作られた新憲法により、自らの首を占める結果となり、苦肉の策が今の自衛隊となっているようです。


<戦後について>
 戦争は個人で行なうものではなく国家が行なうものです。ですから国家間での決着が大前提であり、日本は条約や賠償金などで国家間の決着は着けて来ているのでは、と私個人は思っていますので、一部のマスコミや団体が言う「日本は戦争責任を反省してない」という意見にはちょっと賛同出来ません。
 例えば日韓条約では、
 「賠償金は個人補償も含み、今後は国内で処理し、今後はこの問題については二度と持ち出さない」
という意味の取り決めがされたそうです。在日韓国人を含め韓国籍を持つ人の戦争保障は、全て韓国政府が行うという取り決めで賠償金を払ったそうです。ですから、個人補償の問題が発生しても日本はその条約を遵守している訳で、無
視したり反省していないのとは違うと考えます。また、現在に至ってもなお中国や韓国がこの問題を持ち出すのは、日本に対する外交の切り札として利用しているという事を、日本は勿論、アメリカも認めているところだそうです。


 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発するとアメリカは、先程書いた防共の理由から日本を同盟国にしなければならない状況になり、1951年9月のサンフランシスコ講和条約締結へとなったそうです。
 どこの国だったか記憶が定かではないのですが、マッカ−サ−に対し「これからは共産主義、ソ連との闘いになります。その際、日本は重要な国になります。余り日本をいじめてはいけません。一日も早い復興をさせるべきです。」
と進言したそうです。
 アメリカは、西側連合国と日本と講和条約を結ばせましたが、戦勝国でない韓国と東側(ソ連、中共)は除外されました。その後韓国とは先程記載した「日韓条約」を個別で結びました。
 インドは、日本はインド独立の恩人であると言う理由で、賠償金を放棄したそうです。
 インドネシアは、賠償金と言うのは筋違いなので独立お祝い金として受け取ったそうです。
 余談ですが、タイは当時西欧列強の植民地に囲まれその緩衝国家という事で、独立を守っていた国でした。しかし日本と同盟を結んだと言う理由で、1942年1月に連合国から爆撃を受けてしまいます。タイは連合国に対し宣戦布告
し、日本と共に戦った国だそうです。
 戦時中、タイは日本軍に20奥バ−ツを貸していたそうで、その返済交渉で来日した際、焼け野原と食料不足に喘ぐ日本の窮状を見て、大幅な値下げに応じてくれたそうです。
 戦後、アジアの国々から日本に感謝を述べるコメントがあったそうですが、その様な話に触れる度に、本当に日本は侵略戦争をしていたのだろうか?と考えてしまいます。
 確かにアジアの国々を兵站基地として利用し、労働力や物資供出の場所として利用していたのは事実でしょうし、その為にその国の生活を圧迫したのも事実でしょうし、不良軍人・軍属が悪さをしたのも事実でしょう。しかし、それだけならば上記の様な発言も起こり得ないと思います。
 「日本は行く先々で経済を抑えていた華僑を追放し、経済と政治をその国の国民に戻し、学校を作り教育を施し、医療を充実させ、若者を教育し軍隊創り、民族意識を覚醒させ、独立を促した。」
 「終戦後も現地に留まり、独立戦争で血を流した日本兵が沢山居た。」

こういった類の話も恐らく事実であり、当然そこには国同士の利害や思惑の違いや力関係などから、ドロドロしたものも反発も争いもあったでしょうし、日本のやり方を押しつけ過ぎたりもしたでしょうが、それらを差し引いても日本に対する評価は好意的だったのではないでしょうか。だからこそ先の様なコメントを生み、アジアにおいて親日国家が多い理由の一つではないかと思います。
 統治に携わった日本の軍部関係者を国家建設のアドバイザ−として、戦後再び日本から招いた国もあったそうです。幾つかあったと思うのですが記憶しているのは、シンガポ−ルがそうだったと思います。


戦後、タイの新聞に「12月8日」と題して、こんな記事が載ったそうです。
 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」
 この記事を書いた方は、後にタイの首相になったそうです。
 東京裁判のオランダ代表のレ−リンク判事は、日本は西欧諸国の植民地を解放した事を認めている事も、それを裏付けていると思います。


その反面、
「戦後の日本は欧米ばかりを見ている、アジアの盟主としてもっとアジアに目を向け、昔の様にその責任を果たして欲しい」
と言うコメントも多数寄せられているそうです。
 「Look  EAST・日本に見習え」という言葉を残したのは、確かマレ−シアだったと思うのですが、21世紀を迎えた今、日本はその期待に応えて責任を果たさなければいけないと感じます。

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Subject:歴史認識-4」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.8.10


DMJです。
 物心ついた時から「お前の親父は強盗殺人犯だ。  お前は人殺しの子供だ。」と蔑まされ、会う人会う人に「ご免なさい、もうしません。」と謝る事を義務付けられ、その度に金をせびられたら、その子はまともな人間に育つのでしょうか?
 しかもそれが冤罪だとしたら、その子の失われた人生を誰が元に戻してくれるのでしょうか? 歪んだ価値観と卑屈な思想を誰が治してくれるのでしょうか?
 日本が海外に対して主張すべき事が主張出来ないのは無知だからであり、学校で教わったり報道で知る内容があまりに偏っているからではないでしょうか。
自国の歴史や文化を幅広く学ぶ中で誇りや自尊心や哲学が持てる様になり、それがバックボーンとなり主張すべき事を主張出来る様になると思います。

<靖国参拝について>
 靖国神社参拝はその経緯は色々あるにしろ、戦死者慰霊に関わる日本の文化の問題であり、他国が口を出すのは私としては同意し兼ねます。
 もしイスラム系国家に対し、文化や宗教に関わる同様な干渉を行なったら、果たしてどうなるのでしょうか? 恐らく「ジ・ハード」となるのでは。
 A級戦犯合祀についても、東京裁判の是非によってはA級戦犯ではなくなります。
 それ以前の問題として、死者にムチ打つ事をしない、死者に対しては分け隔てをしない、というのが日本の文化だと思います。
 豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した際、戦が終わると日本武士も朝鮮兵士も分け隔てなく荼毘に伏し、同行させた僧侶に経読させその霊を慰めたそうです。
 「靖国で会おう」と言って出撃された特攻隊員の話を耳にした事があります。
 この前、来日された台湾の李登輝さんのお兄さんもフィリピンで戦死され、靖国神社に祀られているそうです。その際に、接待された方が靖国神社へご案内したそうですが、李登輝さんは涙を流して参拝されたと聞きます。
 戦争で亡くなられた方々にとってもそのご遺族の方々にとっても、靖国神社は魂の拠り所なのです。
 文化と宗教は密接な関係があるので、何故憲法違反なのかは占領政策も踏まえて考えるべきではないでしょうか。
 私は、小泉首相には是非、靖国参拝に行って欲しいと思います。

<教科書問題>
 中学2年の長男が使用している教科書と「つくる会」の教科書の近代史の部分を読み比べて見ましたが、つくる会の教科書のどこにそんなに目くじら立てて反対する必要があるのか、私には判りませんでした。
 別に戦争を美化したり正当化しているとも思えませんでしたし、日本を取り巻く国際社会、時代背景が判り易くて良かったと感じました。取り立てて難しいという印象もありませんでした。
 反対派の意見の中にはどこが捏造や歪曲なのか具体的指摘が少なく、論理的と言うよりも情緒的な意見ばかりで、論理的にも説得力にも欠ける印象を受けました。
 他の教科書と比べてどうなのかという視点に立っている様に思えず、偏った思想とイメージだけで批判している様に感じています。
 以前、反対派のHPで世界各地から届いた非難の声というのを見た事があります。確かにアジア以外にもカナダ、アメリカ、ニュージランドなど多岐に渡っていましたが、名前を見ると全員が韓国系中国系でした。
 外国で暮らしているその人達は、日本語で書かれた「つくる会」の教科書を、本当に読んで、他の教科書と比較した上で、批判しているのか疑問を感じました。HPを見たのは検定が行なわれる前でした。
 政府としてこれを問題にしているのは中国と韓国だけだと思うのですが、アジアの国々という言葉を使ってさも多数意見の様に表現するのは、如何なものでしょうか。
 政府の公式見解と特定の団体の活動は別だと思うのですが。新聞に掲載された韓国や中国の修正要求にしても、お互いの歴史認識の違いじゃないのかなと感じましたし、何も中国や韓国の認識に会わせる必要は無いと思います。
 では中国がベトナムや台湾やチベットと、アメリカがイラクと、イギリスがインドと、オランダがインドネシアと、各々が共通の歴史認識を持って共通の歴史教科書を造れるのでしょうか?  まず無理ではないでしょうか。
 扶桑社のみをターゲットとして、採択委員の自宅や採択した学校にまで電話やFAXで圧力をかけたり取材を強要したとか、採択会議場を囲み中国や韓国の旗を立てての講義行動の報道を聞きますが、異常な事だと思います。言論の自由を越えた脅迫活動ではと思います。
 そんな度を越す様な事をしていると、今後の教科書採択は圧力行為から委員を守る為という理由で、情報公開されず密室政治で決定してしまう様になってしまうのではと心配してしまいます。
 8月8日の報道によると、「つくる会」事務所放火事件が起きました。もしこれが反対派の人達が行なったのであれば、益々公平な判断が出来なくなります。
 まともな世の中ではこの様なテロは否定される訳ですから、採択委員への脅迫活動も然り、もはや反対派が何を言おうが心有る人達は聞く耳を持たないのではないでしょうか。
 現段階において私は、反対派の肩を持つ気にはなれなくなりました。

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Subject:「澤田の論〜学ぶべき歴史とは?〜」
Date: 2001.8.10


 DMJさんから大変力のこもった論をいただきました。靖国参拝問題を取り上げる事には若干の覚悟がいると言うのが正直なところで、DMJさんが心配されるように、非常に感情的な論戦を呼び込む危険性のあるテーマに成りかねない、私もそう感じています。

 しかし、いつかはこの問題を私達の国は正面から取り上げる事が必要なのではないか? そう思ってもいました。ただ、今の国の状況の中で、この問題をクローズアップする事は危険であるとも考えているところなのですが、小泉総理大臣がここまで焦点を当ててしまっては、むしろ議論を避けるべきではないのかなぁとも思い、冷静に考えてみようと論点提示をさせていただきました。非常に大きなテーマであり、本当に大事な事なのですが、この議論で経済や財政の改革の議論が隅に追いやられる事は、絶対にあってはいけない事なので、そこは自覚して論じていきたいと思います。

 「過去から学ばない物は将来に同じ過ちを繰り返す」この言葉はドイツのワイツゼッカー大統領が述べた言葉だったように記憶していますが、古今東西を問わない真理を含意した言葉だと思います。私達の国では、近代の歴史を敗戦の前から封印してきたのではないでしょうか?DMJさんが東京裁判に関して、様々な事を紹介してくださいましたが、私も自国の正当性の主張と言うような観点ではなく、これからの世界をどのように直視するのか? という観点から、東京裁判において何が裁かれたのか?その正当性やそこでの判断基準は、今の世界情勢においてどのような意味を持つものであるのかをちゃんと検証してみたいと考えています。「人類に対する罪」として、ドイツと日本が連合国から裁かれた罪は、今の時代までにアメリカや旧ソ連、中国などが犯すことの無かった罪なのか? 本当によく考えてみたいように思います。

 こうした点に関して、日本は軍国主義の悪い国だったと言って済ましてきた訳ですが、オランダにあるハーグ国際裁判所において、殆んどの問題に対して個々の国の国益と称する物のための様々な犯罪的と思われる事への起訴に対して、明確な判断を留保しているのが、現実です。それほど国際法と国内法の間でいずれに組みするかの基準が定まっていないのです。現在ユーゴ紛争の張本人として、弾劾にかけられているミロシェビッチ元大統領も、そもそも裁判に根拠がないと争っている状況です。私はアジアの国の人たちへ日本人が何も悪い事をした訳ではないなどという話をしたい為にこのような事を書いているのではありません。私達の国の若い人たちが自分の国が特異な暴力的な国であるような、自分の国を卑下するような思いを持つ事に対して、歴史的な目で相対化する事を求めたいし、これからのこの国を支えていく時に、そこから出発しないと身を縮めて世界の中特にアジアの中で生きていく事になるのではと危惧するのです。他の国もやっているから、と自らの国が他国の国民を隷属させたりした事を正当化する事は慎まなければなりませんが、私達の国が平和への罪を著しく損なう国民であると、アメリカなどに言われる事を由諾々と受け止める事はないのです。あの戦争が侵略的であったとアジアの国民から指摘される事は甘受しなければいけない部分があります。しかし、欧米の植民地支配を当然のようにやってきた国々に言われるのは、筋が違うのではないでしょうか?

 戦争責任を誰が誰に対して取るべきか?国民に対して戦争という悲惨な状況を齎したのは一体誰だったのか? あの戦争は回避できなかった物なのか?連合国側に戦争責任は無いのか?私達の国の中で殆んど議論されてきていない事は、やっぱりおかしいのではないかと思います。もっと自分達の国の今に至る歴史を未来に向けて、検証する必要があると思います。ワイツゼッカーの言葉のように過去から学ぶ事は何なのか?はこの国がこれから何処に向かうかに大きく関わっていると思います。もう一度戦争と言う悲劇に引きづり込まれない国であるためにも、逃げずに考えていきたいと思います。
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Name:東京都 狸巣庵主人さん
Date: 2001.8.11


靖国参拝
 私は靖国参拝には疑問を持っています。
 戦争で亡くなられた方への哀悼の気持ちは人一倍持っているつもりですし、過去の戦争が日本の一方的な侵略であったとも思いません。しかし、何故靖国神社なのかが今一つ分からないのです。うちの田舎に行くと、戦死された方のお墓はすごく立派で、一目で分かります。それを見ると親戚でなくても、何か拝みたくなるのですが。東京裁判の理不尽は痛感していますが、では自主裁判をやり直したらどうかというと、やはり戦争犯罪者であることには変わりないと思うのです。逆に非戦闘員のことは考えなくてもいいのかという疑問も残ります。

構造改革
 具体的に言えば、ゼネコン、中小企業、商店街が淘汰されるというプロセスでしょう。そこに働く人にとっては、死活問題ですが、マクロ的には必要不可欠です。ただその中でもどうやったら生き残れると言うことに一生懸命知恵をしぼる企業はあるはずで、そういう活力に期待したいです。例えば私の趣味は駅前商店街を歩くことです。そういう商店街にはすごく魅力があると思うのです。ただ、どうやったらもっと集客できるのか、量販店に対抗できるのか。例えば皆で協力して駐車場や駐輪場を整備するとか、共同購入して仕入れ値を下げるとか、マーケティング活動を一体で行うとか、やりようはあると思うのです。
 また、中小企業の中でも優秀な技術力を持ったところはあるし、収益をあげているところも沢山あります。そういう企業は、中小企業であってもマニュアル上破綻懸念に分類されることは決してありません。自民党は中小企業を聖域化しようとしていますが、これこそ議論のすりかえで、淘汰されるべき中小企業を温存することになりましょう。

弱者と強者
 少し論点はずれるかも知れませんが、最近面白い寓話を耳にしたので書かせて頂きます。それはある漁師とエリート・ビジネスマンのお話です。その漁師はすごく腕が良くて、漁に出れば必ず十分な獲物を持って帰ってきました。でも必要以上にとることはせず、必要なだけ収穫したら町に出て友人と酒を飲み、うちに帰って子どもと遊ぶのを楽しみに毎日働いています。でもそんな調子ですから、いつまでも持ち船は一艘きりで、自分一人で働いています。そこにハーバード大学のビジネススクールを出たエリートがやってきまいた。そして漁師に「自分ならもっと沢山の魚をとり、それを売ってもう一艘に船を買い、もっと収量を増やして人も雇い、どんどん事業を拡大する。そして会社にして株式を上場して大金持ちになる」と言いました。そこで漁師は、「その後はどうするんだ」と聞くと、そのエリートは「引退して小さな船を一艘買い、釣りをして余生を過ごすのだ」と言いました。
 ここでは誰が強者で、誰が弱者でしょうか。要は価値観の軸を変われば、強弱の見方も変わるし、これからはそうなってくるのではないか、またそうなっていくべきではないかと思うのです。

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Subject:「澤田の論〜学ぶべき歴史とは?2〜」
Date: 2001.8.15


 歴史の評価と言う物は往々にして、それぞれの立場によって正反対の物になりがちです。それでも自分の国が過去にどのような状況の中で、どのように振舞ってきたのか? という事を今に活かすために、常に検証する事は大切なのだと私は考えています。その時に今の自分達を正当化することのみが目的になってしまう事は慎まなければならない事でしょう。自分達が生を受けて、育てられた自分達の国をいい国であると思いたいからと言って、自己査定を甘くして、他国との軋轢を産む事に無関心になる態度は、争いの元であるのだから、それなりの節度を失わない冷静な議論をしていきたい物だと思います。

 先の大戦に纏わる歴史の評価を、自国に不都合な事実には蓋をして、いろいろ論じ合ってはいけないのだろうと思います。ただ、戦争という物は一方の国の動機のみで行われているわけではなく、その時々の多くの国の利益追求のバランスの齟齬から引き起こされているのです。その状況に対する考察無しに、戦争に勝ったら全てが正しいとしたり、負けたから全てが間違っていたとするような捉え方は、歴史の評価の仕方としては幼稚すぎるのではないでしょうか?我が国が何故あのような戦争をしたのでしょう? 一部の軍国主義者が利権を求めて、国民を巻き込んで自分達のために大陸に進出していった、ある時点からは、そうした見方をせざろう得ないように私自身は考えています。軍閥と言われる資本家と官僚の複合した集団が、大した戦略もなく戦線を拡大したために国が傾いただけではなく、その精神のあり方までも否定された事が今のこの国の混迷の基底部分にあるようにも考えます。

 ただ、あの戦争を国民が最初から否定していたという見方は正しくないと思います。その当時の世界情勢から言って、戦争というものを今の日本人ほど悪と決め付ける価値観ではなかったし、日本を追い詰めるような包囲網を敷いた国々があった事も事実だと思います。日本が欧米列強と争って勝てると考えたのかどうか、その辺の状況判断がどのようであったかなどをよく検証する必要があるのではないでしょうか? 勝てるとの見積もりも無く、戦争に引きずり込まれたとの被害者的な見方をしても埒が明かない話になってしまいますが、今般の経済戦争とも言われる状況を見ていると、私達の国はその時点でのスタンダードを追いかけて、少し得意になっては欧米諸国の戦略の変更にいともたやすく打ち負かされてしまう事を繰り返しているのではないでしょうか。

 その間、欧米のスタンダードに合わせることに汲々としていて、アジアの国々との連携などを軽んじている内に、アジアでも孤立し、欧米からも本当のところでは異端視されていて、自分の国の本当に目指すべき姿が他国との間で見えなくなっているようにも感じられます。もう少し、復古的な意味ではなく、日本という国の本来目指すべき国の姿に対する自己イメージを自分達で確立して、ゆっくりでもいいから着実な歴史を作っていく為の哲学を持つべきではないかと、思います。

 ちくま新書から中山治氏(21世紀日本研究所設立)の書いた「戦略思考ができない日本人」という本が出ています。参考までにご紹介しますが、国家神道を国を束ねる根本においたあの時代には情緒的な連帯を国の束ねにする為に、一方では軍人勅諭と教育勅語を吹き込む場としての軍隊と学校というマインドコントロール装置、他方では不敬罪と治安維持法のような暴力装置が必要であったとの分析をしています。欧米や中国などの国のような「行動原理」を共有する事で固く連帯しあう国に比べて、「情緒」による共同体幻想による連帯のもろさを指摘していて、私達の国のidentity(同一性)のあり方に深い示唆を与える本のように思います。

 歴史を検証する時に事実のみで語ると発言する人がよくいますが、事実という物がその見る人の構えで如何様にも変わりえる事を少しでも想像する力があれば、そんなに簡単な事ではない事をさも当たり前に出来るかのように語る愚かしさに気付くのではないでしょうか? むしろ困難な事との認識を持ちつつも、何かしらの目的の為に出来るだけ独善に落ちいらない議論と考察をして、自分達の歴史を見つけていくべきなのだと思います。自分の国にこれから生きていく次の世代に、何を語り継ぐべきかは果てしなく難しいテーマなのだと思います。

 このサイトも運営管理してくれている人の関連で、少しupに関して夏休みを頂く形となるので、15日に小泉総理が参拝するのか、どうかが決着してから掲載される事となるでしょうが、いずれにしてもここまで国民の関心を高めてしまった以上は、ちゃんと議論を続けるべきです。周辺アジアの国々の評価も大切ですが、それと同様にか、それ以上に自分達の国にとって、情緒的な一体感幻想に囚われる事の無い歴史認識を持つ契機にするべき時代なのではないかと考えています。まだまだ勉強不足ですが、一人のこの国に生きる大人として曖昧にしないで学ぶ覚悟をしています。みなさんも一緒に考えて頂けたらと思っています。
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Subject:「澤田の論〜歴史から学ぶ物は?3〜」
Date: 2001.8.17


 このサイトの運営も少し夏休みを、と思っていましたが、そうしている内に13日に小泉総理が靖国神社へ参拝して大騒ぎとなっていました。新聞、テレビさらにはネット上でもその賛否で沸きかえっています。

  私がそうした喧騒を見聞きして感じる事は、やっぱりあの戦争の総括は終わっていないのだと言う事です。今までのこの国での戦後は、その事を忘れた振りをする事で来たのだという事です。戦争という物は決して忘れる事の無い傷を残す、特に負けた国には。その冷厳たる事実を私達の国は少しも乗り越えていない、ただその事に触れずに来たに過ぎないのではないか、そう感じました。

  「かねがね今日の日本の平和と繁栄は、先の大戦で心ならずも命を失わわざるを得なかった戦没者の犠牲の上になりたっている。家族と離れ、愛する人たちへの思いを断ち切りながら祖国のために散っていった。無念だったと思います、そういう方の犠牲のうえに今日があるということを忘れてはならない。そういう方々に対し、心からなる敬意と感謝の誠をささげたいと思って、今日は参拝致しました。同時に、これからも、あのような戦争を二度と起こしてはならない。日本は平和国家として、これからも世界のためにも、日本国民のために発展していかねばならない。不戦の誓いを新たにいたしまして、今日は参拝した」

  これが、小泉総理が参拝後の記者会見でその感想を問われた時の発言です。「心ならずも命を失わざるを得なかった戦没者の犠牲の上に、今日の日本の平和と繁栄が成り立っている。心からなる敬意と感謝の誠をささげたい。」その言葉が、15日に参拝しなかった事で、嘘になるのでしょうか?この問題を政局に結び付ける事は、一番鎮魂の意に反する事のように私は考えますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

  曖昧にしたのは、A級戦犯と目される人たちへの捉え方に関してです。この事に踏み込めば、戦争責任をどのように捉えているかを、明確にする事が不可欠になる事でしょう。DMJさんから、この事に対しては、ご意見を頂きました。東京裁判を受け入れるか、そうでない立場か、でその後の歴史認識は大きく違ってくるとのご主張でした。私自身の考えでも、東京裁判自体のあり方は、歴史の評価をする時に受け入れがたい矛盾を感じる事が多々あります。その上で、私達の国が無条件降伏をして、その判断を受容した上に成り立ってきた事をどのように考えればいいのか? 今靖国参拝問題で強硬な意見を述べられている方々はその判断を説明していただきたい気もします。

  あのような屈辱的な裁きを受け取る気はない、ただ今の時点でそのような強い意見を口にするだけでは、何の解決にもならないのではないでしょうか? 戦争が終わって、その後の世界情勢が冷戦構造の中で、東西両陣営のせめぎ合いが局地的な形で様々ありました。アジアの中でも、中国と台湾、朝鮮半島での民族を分けた動乱、植民地支配から抜け出ようとした際のベトナム、様々な形であの戦争からその後の世界情勢の荒波に翻弄される不幸な戦争が完全に終わっていないと考えさせる状況が続いてきました。その中で、日本は西側陣営に入る事で、当事者になる事を免れて経済発展に邁進する事が出来て、今の繁栄を手に入れてきた部分も大きいように考えられます。今ODAについて、止むを得ずに削減の方針が為されていますが、戦後の日本が復興に際して逆に大きな援助を受けた事は、当時の冷戦構造下での我が国が、西側に属する事に対する代償であったと考えられます。勿論、何処の国も、その時々の世界情勢の中で自国の国益にたって、様々な意思を表明しながら必死にやり繰りする訳で、私達の国の指導者達もこの国を何とか敗戦のどん底から引き上げようと懸命の努力をしてきたのです。

  ただ、その大前提が不本意としながらも受け入れた東京裁判やサンフランシスコ条約である事を、今全て無視をする主張をその後の様々な状況を一切顧みないでするとすれば、その事を前提にしてきた全ての歴史を、大総括しないといけなくなりはしないのか?よくよく考える必要があると思います。その総括に立ち向かう事は、非常な困難を伴う事なのだと思います。石原都知事が「今回の事で、また我が国の外交が侮りを受ける。」との発言をしていますが、強い事を言えるだけの対外的な外交努力をどのようにすれば、いいのか?について具体的な発言をもう少し話すべきではないのでしょうか?いつも、他者へその不勉強を嗜めるような発言をして、喝采をはくする事の多い政治家ですが、若い人たちに対して何故そうした立場を取るべきなのかを、そうした歴史的な経緯を踏まえて説明していない気が私はしています。どちらかと言えば、仕方が無い事は忘れてしまい、他の国も左程責任として感じていない責任などに拘らないで、強い事を言えば通る、そのような発言に感じられる事が多いように私は考えています。何も強い事を発言するべきではないと言いたいのではなく、それだけの発言の根底にどのような歴史に対する思いがあるのか、周辺特にアジアの国々に対して、どのような説明が出来る事を背景としているのか?などについて、若い人に分かるように発言されるべきではないかと私なりに思います。

  西尾幹二氏の労作である「国民の歴史」は、よく読んでみると日本人が自尊の心を取り戻す事が出来るようにとの思いが伝わる著作であると評価出来る物です。また、戦後の事に拠らず、何故あのような侵略的な国策を取ったのか?という事の時代背景について、よく書いてあると思います。タイトルの通り、日本人の目から歴史を見ていくと、概ねそのように歴史を総括するであろうとの事が詳細に書いてあります。今の時代に生きている私達が何故か紐解いてみる機会を与えられていない過去の事実を丁寧に書いてあり、考えさせられる本です。ただし、近代のアジアに対する記述に関して、中国や韓半島に対する評価の部分は、彼の国の人たちから見れば、あまりに日本の事故正当化が過ぎるとの批判を浴びる事は必至でしょう。まるでナショナリズムに曇った事を書いているとは私自身も考えませんが、自己防衛の為に他国に対して取った事として、全てを正当化する事はやはり出来ないとのスタンスが、求められるように思います。

  しかし、戦争が何故起こったか? という根本の疑問に関する認識は確実に高めてくれる資料性を持った本なので、こうした問題を論じる時には一読するべき本であると思います。歴史をいつのセンテンス時制から考察するべきなのか?と言えば、間違いなく現在及び未来に向けてであるべきでしょう。ただ、事実関係やその状況に対してその事案がその当時に生きた人たちの持っている情報等でどのような意味を持ったことなのか?という点に関しては想像力を持たないと、後講釈で全てを評論するだけで終わってしまう訳ですから、自国の先祖がどのような思いで決断したのかなどには、深く敬意を持って見る姿勢を失わないようにしたい物だと思います。その事は、今の私達がその時代に生きた時に本当にもっとその状況をうまく潜り抜けるだけの見識を学び取っているのか?という歴史に学ぶ真の目的に努力しているのかを問う事になるからです。
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Subject:「澤田の論〜最近考える事〜」
Date: 2001.9.3


 最近日本人の物事の捉え方について非常に興味を感じている為か、河合隼雄氏の「中空構造日本の深層」、久保田展弘氏の「日本多神教の風土」といった著書を読んでみました。以前書いた中山治氏の「戦略思考ができない日本人」もそうした関心の中で読んでみた本なのですが、今の私達の国に欠落している自分達の国に対する自画像を自分なりに考えてみる契機になったように感じます。

 経済の事や教育の事、さらには外交の事を様々考察するにしても、自分の考えを規定している日本人としての特質を踏まえて考えていかないと、何か表面的な見方で終わるように思う気持ちがあったからです。教科書問題などを考える時も、私自身が歴史を形づくってきた日本人の精神構造を知らないで、新聞でどのように騒いでいるのかといった視点だけでこうしたサイトを運営していく事は出来ないように考えたこともあります。深層心理学、比較宗教学といった一見政治とは関連のないように見える立場から自分の国を見てみると、それぞれの分野からだけの見方にない大きな視野で捉えられるように感じます。

 こうした事を始めようと私が以前にも増して考えたのは、先日参加した宏池会のセミナーで作家のジェームズ三木氏が政治や経済は手段に過ぎないと発言されていた事から、そうした物のさらに深い目的を規定する何かとはと考えた事と、人が何か決断をする時にどのような心理過程からそれを行っていくのかという事をもう少し突き詰めて考えてみようと思ったからでした。それと同時に経済や政治分野の専門家と言われる人達がテレビ等で話しておられる言葉を聞いていても、何か発言が軽く感じられるか、自分の知らない何かに囚われているように感じられる気がしてならなかったのです。前者の場合は発言がその都度違うため、どこにその人の考えがあるのかが分からないので、ある意味論外なのですが、後者の場合、その人が拠って立つ物を理解しないと評価出来ない、そう感じました。例えば、西尾幹二氏達のように日本の歴史という大きなテーマを見直すべきと主張されている人たちの考えがどのような物なのかを私なりに受け止める場合、彼らが書いている事だけを見て、どうこう判断しようとしてもあまり生産的ではないように思えてきたのです。

 どういう事かというと、近代アジアの中で日本が何故他のアジア諸国と違った道を選択したのか? そこに日本人の特性が歴史からどのような影響を受け、どのように関連したのか?そうした考察をしてみないと、ただ歴史上こうであった、ああであったという話で終わってしまい、そこで日本を自虐的に見ていると思う人と、過大視していると思う人で延々と何も生まない論争をする事に留まる気がするのです。これからアジアの国々と様々な連携をしてやっていく時に、私達の国と相手の国で物事の発想の違いがどのようにどの程度あるのかを弁えていく必要があると考えるのです。そこでまず、自分達の国を知る事から始めるつもりで以前にも増して、様々な本を読み漁っているという状態です。
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Subject:「澤田の論〜恐ろしい事件〜」
Date: 2001.9.12


 日本時間で11日夜に歴史に残る事件が勃発しました。ニューヨーク世界貿易センタービル及びアメリカ国防省ビルへのハイジャックした民間機による多発テロです。

 この事件の影響は、本当に計り知れないほどの物になるでしょう。世界経済の先行きにもかつて無いような激しい影響が出るでしょう。今の世界の唯一のスーパーパワーと考えられていたアメリカがこの事件でどの位のダメージを受けるのかも想像を越えた物になる事が予想されます。あらゆる国がかつて無いほどに緊密にリンクしている今の世界では、アメリカのみへの影響では済まされない事態です。

 誰がという疑問には盛んにニュースでアラブ勢力が背景との見方がされていますが、本当の事は恐らく解明される事が無いように思います。多分大方の予想の延長線上の勢力が関与しているのだろうと思いますが、分かったところで再発を防ぐ事は限りなく不可能に近いように思います。こうした事態を防ぐ為にアメリカが様々な手段を講じたところで、従来の軍事的な手段と違って、あらゆる民間の生活の隅々まで監視する事でもしないと防げない性格の手段であり、アメリカという国が宣戦布告無しに戦争状態に巻き込まれ、いつ果てるとも無い泥沼に引き込まれてしまう状況だからです。

 アメリカは今まで自国の国土で戦争をした経験がありません。いつも近代化された武器を駆使して、相手当事国の国土で戦ってきました。一般の国民が無差別に攻撃を受けるような戦争をする事無く来たのです。今回の攻撃を受けて、パニックに陥らないでどのように対処するのかは、注視しなくてはならないでしょう。報復として核の使用などの強硬な手段などを使用するような事があれば、本当に世界は混迷の極みに陥る可能性があります。平和の為に広島・長崎に原爆を落とした時に何が起こったか?をバーチャルにしか感じていなかったような態度を示していた彼らが、非戦闘員の血が目の前で流れる事をリアルな経験とした時に、戦う事が結局は弱い人を痛めつける事に繋がる現実をどのように感じるのかは、今後の世界にとって非常に大きな意味を持つかもしれません。

 イスラム原理主義とアメリカ的な価値観は絶対に相容れないのでしょう。このような非常事態時にこうした事を書く事は非難されるかもしれませんが、いつかはこうした事態を引き起こす互いの排他的な価値観では、いつになっても問題は解決しないと思います。最近のアメリカの外交の強権的なやり方は目に余る物がありました。人種差別を無くそうとする目的の世界会議でもイスラエルと一緒に会議をボイコットする姿勢を見せていた訳で、自国の都合ばかり主張する姿勢が目立っていました。だから、テロを受けて当然という事を言いたいのでは絶対にありませんが、自らの利益や価値観のみで他の国を押さえつけてばかりいる事が、今回の事件の根本にある事をアメリカが考えない限り、果てしない復讐の繰り返しになる事で、世界はかつて無い不安定な状況になるでしょう。
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Subject:「澤田の論〜宗教戦争への関与〜」
Date: 2001.9.12


 昨日今日のニュースはアメリカで起きた飛行機ハイジャック犯のテロ一色でした。この事件の持つ対立構造の重要性、その被害の甚大さからして、当然の事です。

 ブッシュ大統領が犯人に対して厳罰を下すと表明し、小泉総理はその報復処置に出来る限りの協力をする事を世界に先駆けて公言しました。自由と民主主義に対する重大な挑戦との認識であるとの声明も出したそうです。非戦闘員を巻き添えにする事を最初から意図する狂気の行動に対して、断固たる決意で再度の行動を防ぐ為に、報復処置が必要なのかもしれません。こうした行為に対して弱腰の姿勢をとる事は、相手に増長を生む物で、更なる行動が許されるとの誤ったメッセージを与える事になるのだと思います。

 しかし、死刑制度があっても凶悪犯罪が無くならないように、報復処置が為されたとしても問題が根本的な解決を見る訳では無い事は自明の事ではないかとも考えずにはいられません。報道や最近のイスラム社会と欧米社会の対立を見ていると、段々エスカレートする傾向が強まっていて、非戦闘員を巻き込む形の不幸な事件が多発して、被害も拡大の一途のように思います。現在首謀者と認定されてきているラディンという人物の経歴を見ていくと、アフガンでの内戦時にアメリカが旧ソ連に対抗する為にゲリラとして育てた人物であるとの事です。アラブ首長国連邦の富豪の家に生まれ、そうした戦闘に身を置きながらイスラム原理主義者になった人物なのだそうです。そして、あの湾岸戦争でイスラムの聖地であるアラブの地に欧米の軍隊が駐留する事に反発して、アメリカに敵意を持ってテロに走ったと言われているのだそうです。イラクのサダム・フセインも同じような経歴の持ち主であると聞いています。今回の惨劇は許されない愚挙ではありますが、その原因に遡って見ると、欧米諸国の過去のアラブへの関与のあり方に大きな原因がある場合が殆んどなのではないかと、本当に悩ましく思います。

 テレビでパレスチナの人達が今回の事件を知って、喜びを表している映像をみながら、歴史の中での今回の事件の意味を考えて、絶望的な気持ちになりました。豊かな近代的な生活をしている私達と、アラブの人達の落差を生み出してきた歴史をいろいろ学んで見ると、こうした不幸を生み出してきた物を見つめないで、裁く権利を主張してもこの人達には決して通じないのだろうと考えずにはいられない気もします。彼らは日常的な悲惨な人生と戦っている訳で、その現実を生み出してきた側に、ブッシュ大統領の陣営がある事も事実なのではないでしょうか?

 十字軍以来と言うか創生の頃から、イスラム社会とキリスト教社会が激しく互いを殲滅するような戦いを果てしなく続けてきた歴史があり、ユダヤ教に対する弾圧がイスラエル建国に関わり、現在の中東の解決不可能と思わせる争いを引き起こされている状況などを見るにつけ、今回の悲劇だけで判断してもいいのだろうか?と考えずにはいられない問題のように思えてなりません。同盟国であり、アメリカとの信頼関係が安全保障上の最優先課題である事から、アメリカのダメージ回復に最大限の協力は惜しむべきでないと私も思いますが、宗教戦争でもある今回の争いに我が国が簡単に首を突っ込む事はかなり危険な事ではないかと危惧せずにはいられません。イスラム社会とキリスト社会やユダヤ社会の間の抜き差しならない対立は、私達の国の文明では本当の所は理解出来ない部分があるように思います。

 対立がいよいよ深まった時に、自分達の文明がその対立を緩和するために何が出来るのかを、難しいテーマではありますが、よくよく考えながら、近代社会のルールを守るという点での協力関係を如何に実現するのかという形での協力体制はどのレベルでの協力体制かを模索して欲しい物です。どの神の教えが正しいのかを争うような場面では、私達の国は部外者でしかない事は忘れてはいけないのだと思います。理性での解決策を無視する事が全面に出てくる争いになりがちな今回の問題は、引き込まれるとどうしようもない悲惨な状況を我が国に突きつけるのではと本当に心配です。
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Subject:「テロ事件について」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.9.17


DMJです。
テロ事件について思うところを書きます。

 今回のテロ事件に悪乗りして法改正すべきでないという社民党の土井たか子さんのコメントを新聞で見ました。
 同じ社民党の原陽子衆議院議員はHPで、過去のアメリカの政策が悪い、ざまぁ〜みろと思っている国もある、そう思いませんか等と述べているそうです。また、民主党の旧社会党議員の人達は、アメリカの戦争に巻き込まれるのは良くないと言っているそうです。また、日本はアメリカを支援するとかしないとか、するなら現行の憲法の中でどうするのか騒いでいますが、私はこれらの報道に接して、ちょっと首をかしげてしまいました。 全ての番組で対岸の火事の様な或いは他人事の様なコメントばかりを耳にします。

 今回のテロはアメリカを標的としてアメリカで起きた事ですが、日本人も現在の処、2名の方が亡くなられ、24名の方が行方不明です。日本人の血も流れているのです。日本も当事者の一人だと私は考えています。
土井さん、原さん、民主党議員の皆さん、
 もし貴方のご家族が知人の家へ出かけられた際に事件に巻き込まれ、行方不明或いは亡くなられたとしても、「悪乗り」とか「ざまぁ〜みろ」とか「巻き込まれるのは良くない」と言うセリフを吐けますか?
 「国家にとって国民は家族であり、その生命と財産を守る事が大前提であり、いざと言う時に国が先陣を切って国民を守ってくれるからこそ有事の際には国民は一致団結する」と思います。先の発言には、政治家としての、公僕としての常識を疑いました。

 アメリカは当然としても、他でも人的被害をこうむった国は、既に対策会議を行い行動を起こしているそうです。
 フィリピンやドイツやベルギ−を含め、今回の事件に関連がありそうな人達を事情聴取或いは取り調べを実施している国が既にあるそうです。
翻って日本はどうでしょう。 注意人物の捜査はこれからだそうです。
 先日の国会における質問も然り、冒頭の政治家の発言も然り、今、日本においての「First  Priority(最優先事項)」は何なのかと言う危機管理の感性が足りない様に感じています。
湾岸戦争(世界で一番資金援助し機雷の掃海作業を行ったのにも関わらず大して評価をされなかった、クェ−トが謝辞を表した国の中に日本の名前はなかったらしい)の時と、全く同じ様に右往左往しているだけに感じます。
 支援するにしてもしないにしても、当事者としての自覚と国民を守る責任、平和憲法を自慢する国ならそれなりに、アメリカに迎合する事なく日本としての主義主張をすべきと考えます。

  今の日本は、不景気で金も出せない、世界情勢を無視した平和ボケで国内法を盾に取って人的貢献も出来ない、世界平和を唱えはするが面倒な事には首を突っ込まない、そのクセに国連の常任理事国になりたがる、ゲ−ムやアニメで世界を席巻しようとしている、恐らく利己的なオタク国家と映っているのではないでしょうか。
 世界はアメリカの同盟国として日本を捉えていますから、日本も狙われる可能性は高いと思いますが、その際どうやって海外に居る日本人を守るのでしょうか。
 国内で騒いでいる日本の政治家の皆さんの言い分が、果たして世界で通用するか自ら乗り込んで実践して欲しいものです。話し合って判る相手なら、最初からテロは起こさなかったと思いますが。

 とにかく、国民を守ろうとしない国家がいくら改革で国民も痛みを分ち合って欲しいと言っても、説得力に欠けると思います。これは政治に限らず、企業という集団社会でも人の心理は同じです。口先だけで行動しない人は相手にされないですし、部下と苦労を共にして同じ釜の飯を食べ、部下の利益を護る上司が信頼され、その上司の為に部下が頑張ると言うのが世の常ではないでしょうか。

 家族も会社も社会も国家も、みな人と人との絆(信頼)で成り立つものですから。

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Subject:「澤田の論〜ある雑感〜」
Date: 2001.9.18


 9月15日に地元で、サイト『VOICE』とこの『論』を中心とした集まりを開催しました。そこでの議論は近いうちに公開したいと思います。今後年に数回のペースで本当に自分達の地域や国をどのように考えるべきか? 議論を重ねていきたいと考えていますが、今世界中がアメリカでの同時多発テロに対する動きで、騒然となっている為に、地域課題などの話をしていても何か落ち着かない気分になってしまい、主宰する立場としては少々混乱気味です。

 1993年にハーバード大学のハンチントン教授が「foreign affairs」に書いた論文「文明の衝突」を現実化するような今の動きを見ていて、本当に湧き上がるような恐怖を感じずにはいられません。文明の基底部分に宗教的な価値観があり、その宗教が自分達以外の神の存在を受け入れない物であれば、対立は不可避な物になる訳で互いを殲滅するまで争いを止めない事となるのであれば、世界はいつまでも分断されたままで破滅的な道を辿ってしまう事になります。前回の論に書いたように、今回の争いがそうした文明とか、宗教を背景とした争いまでエスカレートしないで、安定を志向する世界ルール維持の物としての冷静な形になるように外交等で日本が貢献して欲しいと願わずにはいられません。

 現在のところ、アメリカを中心としたテロに対する報復に憲法上の制約の中で、如何に共同歩調を取れるかに議論は集中するでしょう。後方支援の中で、資金提供以外で何が出来るのか? 憲法との関連での整合性を考慮した形でギリギリの線は何かを早急に決める事が求められるのだと思います。懸念としては、同盟国と言いながらも今回のアメリカはかなり日本の存在を軽視している事です。先日のパウエル国務相の会見で同盟国との連携を例示する中に日本が入っていなかったようですし、軍事行動に備えて日本国内で行っている夜間訓練での事前の連絡もルールとして決まっているのにも関わらず、無視をしている事などを見ると、アメリカにとって日本はいざという時にはあまり重要視するべき同盟国ではないと心の底では考えていると判断せざろう得ない気がします。軍事的なテーマでは日本には協力は求めないから、黙っていろとでも考えているのでしょう。我が国が憲法という国の基本を持って軍事上の制約を持っているのは、第2次世界大戦で敗れた事から永遠に軍備解除をするようなルールをアメリカが決めた事なのですから、少々合点がいかない話ではあります。

 ただ、あまり自省的になってもとは思いますが、こうしたアメリカの我が国への姿勢の背景に最近の外交の質を疑わせる様々な問題があるようにも思います。例えば、田中外相がニュージーランドの外相との会談で話した内容がリークされた事がありました。今回のテロに関する事前の警戒情報が防衛長官や外相に報告されていなかった事もあります。要するに危機管理としての情報管理すら満足に出来ない国と受け取られて仕方がない失策が続いてきた訳で、今後そうした点での信頼を獲得する事は本当に大切な事ではないかと思います。

 イスラム社会とその他の国との泥沼のような争いになるのか? 現在までの安定装置としての国家システムを通じた自由や安全を担保するルールを守る戦いになるのか? 今後流動的な情勢が続くと思いますが、そこでの議論に加わる事さえ出来ない国は先進国ではありません。有事法制整備の議論とともに基本的な情報管理の質を確保する危機管理のあり方も十分にしてほしい気がします。戦前や戦争当時のような統制をする事に目を向ける事はとんでもない事ですが、平時にあっても乱を忘れず、の心構えで他国から情報の共有すら出来ないとの評価を受けるような国であれば、今回の事態がどのような方向に進んでも、その後に世界秩序を決める場に席を持たない国になる危険性を考えなければならないのではないでしょうか。日本はこうした国だから、その制約の中で最大限の支援をしているとの事は何としても理解させる必要があります。こうした事では遠慮をする事は国益に反します。湾岸戦争でお金は出したが、何もしなかったとの批判があると盛んに言われますが、そんな事をいつまでも言わせておく事はないと私は思います。そんな事を言うのなら、その相手は日本と同じようにお金を出してから言って欲しいと思います。

 ある価値を守る為には、汗をかけ、血を流せという強硬な意見を純粋な気持ちから言う人もいるでしょうが、よく考えてみないといけないのではないでしょうか? そうした事の裏側では声高に叫ばれている価値を一番蔑ろにしている人達が舌を出している事が往々にしてあります。正義という価値観は自分達にしかないという態度を取る人には気をつける必要があると私は思います。今はそんな事を言っている場面ではないのでしょうが、ブッシュ政権を形づくっている人脈は、戦争によって莫大な富を得る人達がかなり多いのは事実です。何が起ころうとしているのかを注視していく必要があると思います。数千人の犠牲者を出したテロは断罪されなくてはいけませんが、その背景に目を向けないでは、こうした悲劇は繰り返される事を胸に刻んで見ていかなければならないと思います。

 今感じるのは、私達はイスラム社会の事をあまりにも知らないで、唐突に今の悲劇をどうこうと言っているのではないか?という事です。イスラム原理主義者という言葉を正確に理解もしていないで、どうしたこうしたと論じても何も分からないのではないかと思うし、テロを行う組織がどのような動機でこうした行動に出るのか?という点を少しは理解しないと、その解決に参加する事も出来ないのではということです。むしろ、アメリカや他の先進国は日本にそうした事を求めていないし、口出しを許さないで事を進めたいと思っているのではと感じるのです。経済分野では少しは役立つからいいが、国際政治では隅に引っ込んでいろと考えているのではと思います。いつまでもそのままでいいのか? そうでなくなろうとする際に、軍事力を持たなければ駄目なのか?少し考えがまとまらないで私の頭の中で迷走しています。

 武器を手にする事を目指す事を言いたいのではありませんが、言葉だけでは、との考えが支配的になる場面にあって、これから何が出来うるのかを一人一人の国民が考えていく事が必要なように思います。そこに日本なりの考えがないと、事態が収集する時に、大変な立場に追い込まれる危険性を考えます。
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Subject:「千載一隅」
Name:
山口県 真愚さん
Date: 2001.9.19


 アメリカのテロ被害は決して小さくはなく、世界の耳目を集めた。その大きさ故に驚く程の変化を与えてる様に見受けられる。アメリカは報復に囚われてるけど、もしその報復を忘れるなんて事は出来ないでしょうけど保留する事が出来るなら、今は世界が平和に向かう千載一隅のチャンスかもしれない。 イスラムは思いの他懐が広いのだろうか?、パキスタンはアメリカに協力し、イランも国境を閉鎖しアメリカの報復に反対はしないと言った。リビアのカダフィもアメリカには報復の権利が有ると言った、解決になら
ない事も付け加えて。驚いた事にパレスチナのアラファト議長は早くからアメリカ人の為に献血をしテロ被害に対し見舞いをした。そしてイスラエルとパレスチナが他国の調停無しに自主的停戦した。中国もロシアもアメリカ寄りだ。なんという事だろう、今、世界はテロに反対する気運で一致且つ表明してる。

 この気運は大切にしなければ、今アメリカがアフガンに軍事進行してしまうより、その権利を放棄いや留保だけでもして思い止まる事が出来るなら、世界が大きく平和に歩める気がする。少なくとも今は、テロに反対する挙手を上げたものばかりだ。平和の協議をするなら最適の時期と言える。この気運は大切にしなくちゃいけないのではないだろうか。いま、アメリカが軍事進行すればアメリカの溜飲は下げられるかもしれないが、世界の気運は分散してしまう。或る国は足らないと言い、或る国はやり過ぎだと非難するする様になって、忽ち意見が分裂してしまうだろう。今、報復に囚われる事無く平和に目が向けられるなら、とても良いチャンスだと思える。深い悲しみを持つアメリカには辛いことだけど、アメリカは思い止まってくれないだろうか。小泉首相の報復支援の発言は一寸危ない、日本は今こそアメリカに自制を推奨するべきではないだろうか。日本は出しゃばらずに、決断と栄誉がアメリカに下る様に、動ければ良いと思うのだけれど。

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Subject:「日本を防衛しない日本」
Name:
東京都 クレアさん
Date: 2001.9.19


アメリカで起きた同時多発テロ事件での犠牲者の方々に、哀悼の意を捧げます。

 15日付の日経新聞に、社民・共産・厚労相が「こういうことが起きたからといって慌しい改憲論はよくない」と強調。野中元幹事長も「支持と支援は別だ。危機ならば何でもできると錯覚して愚かな道を歩まないことを願っている」との発言が掲載されていました。

 死者は200人以上、行方不明者は5400人以上に上り、日本人も24名が未だ行方不明のままです。
 米上院では武力行使容認を決議、日本の対応としての後方支援で、憲法の範囲内で何が出来るのかの論議にフォーカスが当てられ始めています。
 
このような情勢の中で、上記のような発言が本当に的を得ているものなのか、甚だ疑問に思わざるを得ないとクレアは思います。

 DMJさんの論にもありましたが、今回のテロ事件で日本が当事者であるという認識を国家レベルで堅持しているのか、首を傾げざるを得ないと考えます。何故米国がテロに遭ったのかの原因を追求するにしても、それは米国のイスラム圏国家に対する外交政策の問題である事に間違いはないのかも知れませんが、テロそのものの問題をそこに帰結させて終わらせて良い事とはクレアには到底考えられません。しかも犠牲者を出した国が、自国の防衛問題を置き去りにして、繰り返しの改憲論に終始するなど常識を疑ってしまいます。日本が今テロに遭った場合の危機を想定して自国の防衛の在り方を見直すならまだしも、対外協力の後方支援問題を、繰り返しの改憲論に依存している姿勢に対して「平和ボケ」以外の適切な表現方法がクレアには考えつきません。
 犠牲者が出たにも拘らず、今回のテロ事件を「他国の事件」としか認識できない危機管理能力の欠如、後方支援に対する議論無きアレルギー反応、不毛な改憲論議の繰り返し。これでは例え協力を申し出たとしても、国際社会の御荷物になる可能性は決して小さくないとクレアは思います。このような姿勢で、果たして日本でテロが起きても日本は自国を、国民の生命と財産を守れるのでしょうか?

 9月16日の「日曜討論」で、米のライス大統領補佐官が自国の安全保障制度を見直す事が話題に上りました。日本では見直しの是非から問題視されています。どういう事でしょう?
 外交評論家の岡本氏が「一国平和主義では国際社会から孤立するだけではなくて、日本の国益は守れないのではないか?」と述べています。日本が平和を唱えていさえすればテロが撲滅出来るのであれば何も問題はありません。戦争であればまた多少話は別かも知れませんが、テロリストに対し、ただ平和を唱える事の意義と効力を再考する必要性をわざわざクレアが言う必要のある事とも思えません。日本の改憲論や自国の防衛再検討を、果たしてテロリストが待ってくれるでしょうか?
 拓殖大の森本氏は「日本人の普通の感覚は(今回のテロ事件は)米の問題で、米に対するテロ活動に巻き込まれたという被害者意識の方がむしろ強い。自分の事として受け止めない風潮がある。今までと余り変わらない議論がまた繰り返される。きちんと対応しないと(日米の)同盟の質を問われる」と述べています。また、「米から何を言ってくるかというよりも、テロに対する脅威に対して何をすべきか?」とも述べています。それはそのまま日本の防衛に対する認識に繋がるとクレアは思います。湾岸戦争の時のように、金は出したのに感謝されなかったから他の支援も考える、ではお話にならないですし、米に対する支援としても、軍事的支援ではなくとも外交的・法的支援は幾らでもあります。自衛隊に対する法的整備は勿論の事、中東を含めた外交戦略の見直しや経済政策等、あらゆる方面から多面的な政策を展開していく柔軟さが必要である事は説明の余地も無いとクレアは思います。

 防衛戦略研究会議で挙げられた問題点として、「憲法問題のため日本では正常な安全保障論議がなされてこなかったが、それだけが問題ではなく、そもそも安全保障に対する認識や意義が欠如しており、戦略についての議論がほとんどされていない事が問題である」という事が挙げられていました。日本の防衛問題を適切に分析・評価・考察していくためには、この問題を、集団的自衛権も含む憲法改正問題と混同しないようなパラダイム・シフトが必要であり、それらの議論から派生する防衛の選択肢は、日米安保に依存した追従外交的なやむを得ないというベター・チョイスではなく、テロに対して日本の警察と自衛隊が持ち得る自衛能力を適切に評価した上でのベスト・セレクトである必要性があるのではないのかとクレアは思います。

 中谷防衛庁長官は「日本の近未来」において、「危機管理は政府だけの仕事ではない。国民全員が危機管理を共有し、その意識を高める事も必要」と述べており、さらに自民党山崎幹事長は「2010年日本実現」において、「自衛隊の行動に必要なソフト面の整備は、単に防衛庁だけの問題ではなく、平時の事しか考えていない多くの官庁や自治体などが、自分自身の問題として議論しなければならない。しかし同時に、これは国民一人ひとりにとっても逃げてはならない問題なのである」
と述べています。
 自由党小沢党首は「日本改造計画」において、「口先だけでなく、本当に世界の平和を願って己の身を削る覚悟のある者だけが、平和の配当を要求する資格があるといわなければならない」と述べています。

 日本の防衛のあるべき姿を再構築する事が日本の緊急の課題であると、今回の米同時多発テロ事件で思い知らされた、と言わざるを得ません。

長くなってしまい、申し訳ありません。

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Subject:「澤田の論〜show the flag〜」
Date: 2001.9.19


 今回のタイトルはアミテージ副国防長官の柳井駐米大使に述べた言葉です。もしも、アフガニスタンにおいて武力衝突があった際には、国際社会に見える形を日本に取って欲しいとの話の中で語られた言葉だという事です。

 親日派として知られるアミテージ氏は、今回のアメリカ国民の報復に対する感情からすれば、そうした形での同盟関係を証明する行動がないと日米の関係が危ういとの認識を示したとされています。この発言を受けて、政府や与党は周辺事態の概念は地理的概念ではなく、今回のような同盟国が危機に瀕している場合は出動が可能だとの見解を、憲法などとの整合性に照らして出来るのかについて、慌しく検討しているとの報道がされています。

 夜になっての様々な報道においての分析では、アフガニスタンは内陸に位置していて、陸軍が攻めていくには山脈を越えての長距離の侵攻が必要で、後方支援においてもかなり難しい局面がありそうです。タリバン政権の軍事力とアメリカとの力関係からすれば、完全に制空権をアメリカが支配する中での兵站活動になるのでしょうから、例えば自衛隊が食糧や燃料輸送での後方支援をする事は可能な様にも思います。安全確保も周辺のイスラム諸国が突然襲って来るような事態出なければ、素人考えではどうにかなるかもしれないなどと想像したりもします。

 しかし問題の本質的な部分はそうした派遣した場面で何が起こるか、何が出来るのかという事以上にあるように思います。今回の戦闘は長期化が心配される訳で、何を持ってその目的が達成されたとの判断で終結に向かうのかなどに関して、あまりにも不透明な物なので、緊急性や国際社会の思惑を考慮して、それなりの行動を取れる形で派兵したとした場合、様々な問題が出てくることが予想されるのではないでしょうか? 今回の戦闘がアメリカによる単なる復讐なのか、テロという世界共通の危機管理なのか(西欧のみならず、アラブ社会も含んだ)、そこを明確にする手続きを踏まないと、同盟国の立場は守れても、その後の世界の中での我が国の位置付けは難しい物になるのではないでしょうか? アラブ社会において、日本は敵対するべき国とは認識されていないと聞きます。アメリカはアラブ社会から見れば、西欧的な価値観を押し付けて、自分達を搾取する国と本当は考えられている部分があると思います。それ故に、今回のような民間人を巻き込んでのテロに対しても、ジハード(聖戦)という捉え方で、ある種の妥当性を主張させる余地が生じていると考えられます。今回の戦闘では今は被害の大きさから、アラブ社会も表立って異を唱えていませんが、長期化するようであれば、過去の様々なアメリカの干渉に対する不満が出てくる事が予想されます。その時に、一体の敵として見なされるような戦闘の意味付けでは、アラブ社会との連携の道を失います。そうならないような外交努力なども良く考えていかないといけないのではと思います。アメリカに手段を選ばずというやり方を自制させるのも大切な事のように思います。大統領令で要人暗殺を禁止している事を今回取り払う事なども、威嚇としてブッシュ大統領が口にしていますが、逆に相手につけ込まれる余地を与えているような物です。禁止しているのは、過去にアメリカがそうした事を散々やってきた事を表している訳で、考え方が違う相手の国のリーダーを諜報機関が暗殺するという事はある種のテロに当たる事をアメリカが行ってきたという事を、復讐の為に再会するという事になりませんか?

 アメリカは正義の為にテロ的な事をしても許される、そんな話ではいずれアラブ社会は反アメリカでまとまっていく可能性があり、日本はそれに荷担する国として反発を受ける危険性もあるでしょう。犠牲者が多いから、復讐が正当化されるという話にしてはならないのです。あくまでも世界中の危機管理というアラブ社会も共有出来るテーゼがあっての軍事行動において、同盟関係上だけでない先進国としての責任を果す為に、何をするかを考え、世界に日本としての考えを主張するべきです。すぐにはそうした事は出来ないかもしれませんが、自立した国として今後生きていこうとするのであれば、真剣にそうした事が出来る国を目指さなければならないはずです。そのために軍事的なプレゼンスがどうしても必要なのか?という事も含めて今回こそは全ての国民をふくめて考えないといけないのではないでしょうか?今回の戦闘の意味を他者にその解釈を任せきりでは日本に将来はないのだと思います。他人事でない、日本の危機意識がどこにあるのかが問われていると思います。
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Subject:「澤田の論〜当面とはいつまで〜」
Date: 2001.9.20


2、当面の措置
(1)安保理決議第1368号において「国際の平和及び安全に対する脅威」と認められた本件テロに関連して措置を取る米軍等に対して、医療、輸送・補給等の支援活動を実施する目的で、自衛隊を派遣するため所要の措置を早急に講ずる。
(2)我が国における米軍施設・区域及び我が国重要施設の警備を更に強化するため所要の措置を早急に講ずる。
(3)情報収集のための自衛隊艦艇を速やかに派遣する。
(4)出入国管理等に関し、情報交換等の国際的な協力を更に強化する。
(5)周辺及び関係諸国に対して人道的・経済的その他の必要な支援を行う。その一環として、今回の非常事態に際し、米国に協力するパキスタン及びインドに対して緊急の経済支援を行う。
(6)避難民の発生に応じ、自衛隊による人道支援の可能性を含め、避難民支援を行う。
(7)世界及び日本の経済システムに混乱が生じないよう、各国と協調し、状況の変化に対応し適切な措置を講ずる。


 以上が19日夜半に小泉総理が「我が国の措置」として発表したアメリカにおける同時多発テロに対する当面の対応策です。

 当面の物ですから、いずれもっとエスカレートするのかもしれません。憲法解釈や法整備をしている内に、事態がどんどん進んでしまい、日本がテロ対策に熱意がないとの糾弾を受ける事はあってはいけないシナリオですから、こうした対応が取られる事は当面は仕方が無い事でしょう。しかし、こうした措置はあくまでも緊急避難的な物であり、なし崩し的に拡大していい物でない事を法治国家として、国会の場なりできちんとしなければ大変危険です。与党の政策責任者で合意に達すれば、自衛隊も動かせるという既成事実として事を進めるような事は絶対にあってはならないのです。テロという世界の安定に対する暴挙を抑止するという事に限定した物にする事無しに、アメリカへの協力であれば何でもするという物では、かえって国益を損なう危険性があります。極論としてニュースステーションの久米氏が言っていたように、お金以外で汗も血も流さないと馬鹿にされてもいいと覚悟する位の信念があればいいではないか、という考えもあるかもしれませんが、ここはテロという手段が世界中で否定されるべきというテーマに日本としての姿勢として決して屈しない事を他国と協調して示して行く必要性があると私は思います。

 ただ、非常に気に掛かるのが、甚大な被害を背景にして本当に誰が?何のために?と言った事件の真相を見極める議論が殆んど出てこない状況です。エジプトのムバラク大統領だったと思いますが、過去のテロに対する報復が結局誤認であった事を指摘し、今回の犯人もビンラディン氏であるとの証拠をアメリカが示さない状況での軍事行動に憂慮しています。協力体制を取りながら、応分の貢献を前提に、我が国はそうした当たり前の事に対してはアメリカに公正さを求めていく必要があると思います。ただ、自分に逆らって事件を起こす輩は叩きつぶす的な行動を取って、いずれそれは間違いでしたでは済まない話です。イスラム社会も、今回の被害者に配慮してテロの撲滅という点では協調すると言っていますが、もしも本当にビンラディン氏のグループとタリバン政権が関与しているとの確証が無く、ドンパチ始めて後になって様々な問題が出てきたら、本当に世界中を巻き込んでの戦争になってしまう危険性があります。

  ブッシュ大統領やその周りの人達は、そのバックボーンとして戦争が好きな人たちですから、どんどん状況をそうしたところに持って行きたがるようにも見えます。イラクが今回のテロの背景にあるとの情報も飛び交っているようですが、何か釈然としない物を感じます。アメリカが今回の悲劇をも自分達の利益に使っているような事があってはならないし、そうは勘ぐりたくは無いのですが、最近明らかになった資料から、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を察知していたけれども、状況的に戦争に参戦する事を国民が望む状況を作り出す為には犠牲者が必要との判断で、奇襲攻撃を防がなかったのだとの事です。そうした判断をする事が正当化される政治風土がアメリカにあると言う事は忘れずに事態を見ていく必要もありそうです。

 実効的にテロを無くす方策が、そのネットワークも含めて叩きつぶすやり方以外にありうるのかについては、私自身妙案がある訳ではありません。しかし、今回のやり方でテロがなくなるとの予測をしている人は殆んどいないようです。テロの背景は実効グループの弱体化だけでは、無くす事は出来ないとの見方が大半と考えます。一番は何故テロが生まれるのか?という点に関する対応が為されていない事があります。ただ、自分達の考えと違う人を殺したいから、テロを起こしている訳ではない部分をアメリカという国はどのように考えているのでしょう?そこへ自分達のやり方における反省点を自覚する事もなく、力で問題を複雑化しているのが実態の様にも見えます。その挙句武器を大量に使用して、自分達が儲けているのでは、何か違うのではないかと誰しも感じると思います。

  テロを生み出す背景に対する世界中の対応を、少し冷静に議論できるようになったら、先進国は責任を持って始めなければならないと思います。それ無しには、今回の事件で無くなった人達は浮かばれない気がします。当面の事はそれなりに進めていくにしても、その後に対して我が国はどのように構えていくのか?は本当に大事な事なので、よく見ていこうと思います。

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Subject:「澤田の論〜原理主義〜」
Date: 2001.9.25


 今回はアメリカの外交姿勢と今起きている戦争状態について書いてみたいと思います。 最近ユニラテラリズムという言葉を良く見聞きします。アメリカの取っている自国の国益追及姿勢を表した言葉です。ある意味で全ての国が国益を追求する事を外交の目的にしているのですが、最近のアメリカのやり方は、抑制を失っているのではないか?と危惧することが多い様に思います。

 冷戦が終わり、唯一の超大国になったアメリカが世界のルールを全て自国の利益を中心に決めるとの姿勢から、今まで国際協調を構築すべく多くの国で議論してきた様々な仕組みを壊す行動が最近目立っていました。地球温暖化問題、ミサイル防衛、軍縮、人権ありとあらゆる会議において、アメリカの国益を最優先しないなら離脱も辞さずとの強硬な姿勢を取り続けるブッシュ政権の姿は、歴史的に虐げられてきた途上国からみれば、時代の時計を過去に戻すかのようなある種の恐怖心をもたらす物なのではないでしょうか。今自国への攻撃という初めての事態に、「infinite justice(無限の正義)」などという不遜な命名をしながら、テロ撲滅というテーマを越えた戦いを世界に強いるような外交を展開する姿には、正直言って私は辟易する思いを持たずにはいられません。

 ビンラディンというイスラム原理主義者の起こしたと言われる暴挙は決して許されない物だとしても、アメリカが被害者と言う立場から、何をしてもいいという論理にはならないはずです。テロに対する対抗手段が、従来のような犯罪に対する物では機能しなくなっている状況を打開する必要性が高まっているにしても、自国の正義という価値観だけでは解決するはずも無い事を分かっているのか、不安視せずにはいられないのです。国連が自国の利益に合わなければ無視をする、そんな態度を常に示してきたアメリカの姿勢をもっと自制させる事が、今回の事態が少し落ち着いてきたら、世界は真剣に考えなければならないのではと思います。今回のテロは事前にアメリカがタリバン政権に対して今回のテロが無くても戦い仕掛ける事を意味するような最後通牒に近いメッセージを出していて、追い詰められた相手が過剰反応をしたのでは?という見方もあるそうです。そこで、思い出されるのが、イラクとの戦争の前にもフセイン大統領がアメリカからのメッセージを間違って受け取り、クエート侵攻に踏み切ったと言われている事だし、第2次世界大戦での日本に対するアメリカの態度です。

 私はアメリカと言う国のある層の人達は本当は平和を望んでいないのではないか?という懸念を捨てきれないのです。危険な見方かもしれませんが、テロと言う暴挙をもまた自分達の価値観を世界に押し付ける機会として捉えているのではと勘ぐりたくなる部分があります。全てのアメリカ人を殺す事がジハード(聖戦)だと発言するビンラディンという人物の狂気は論外の物ですが、そこにクルセード(十字軍)的な戦いを口にする事は、世界のこれからの秩序をキリスト的なヒエラルキーで決めていこうとする構えが見えて、非常に危険な物を感じます。

 どんな残虐な攻撃も宗教の名のもとであれば許されるような価値観の持ち方としては同質な物を感じる物です。単に力的に唯一の大国になったという事だけではなく、宗教的な優位性を示したいから、この際徹底的に相手を殲滅する発想になっていないのかを見ていかないといけないように思います。そして、アメリカが自分達の民主主義という価値観を原理主義的な物にしていないかも歴史が問う場面が必要な気もまたしているのです。自分達の価値を相手に押し付けるという点では、イスラム原理主義とユニラテラリズムは同根の危うさを持っていることを考えるのです。ましてや、アメリカの民主主義や市場原理主義の根本的な背景にはキリスト教的な世界観がある事を考えると、もっと多面的な価値を認め合う寛容な精神をアメリカが取り戻す事を願わずにはいられないのです。

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Subject:「日本の外交支援のあり方」
Name:
東京都 クレアさん
Date: 2001.9.26


「上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。攻城の法はやむを得ざるが為なり。」

  クレアが昨年の11月から政治の勉強を始めるに当たって、最初に開いた本が「孫子」でした。
 凡そ、政治・経済・外交などの基本戦略の根源はそれ程乖離していないだろうと考えて、まず「ものの考え方」から入ろうと思っての事でした。

 米国同時多発テロ事件において、自衛隊後方支援策が次第に具体性を帯び、25日付日経新聞の世論調査で「後方支援賛成」が70%、内閣支持率は79%に跳ね上がりました。
 「国際テロ活動の防止」に対し断固として戦う決意が、いつの間にか自衛隊派遣に関する憲法の枠組み解釈の議論と新法制定へと摩り替わっているという懸念を感じます。
 湾岸戦争の二の舞を懸念し、テロを自国の問題と認識し、断固たる措置を国際協調の枠内で考えるべきとの与党。犯人の特定もされていない事もあり、国連安保理決議・憲法解釈から米国の報復攻撃には反対し、軍事行動によらない話し合いでの解決を模索すべきとの野党。
 テロリズムに対する断固たる措置が、米国の軍事報復に対する即時の是認になる事にはかなりの無理があるように思われます。NATOやEU諸国が軍事的協力を決定したとしても、独自の平和憲法を持つ日本が、湾岸戦争のトラウマから「国際協調」という名目だけで自衛隊派遣・新法制定に飛躍するのは如何なものか?とクレアですら思わずにはいられません。テロに於いては前方も後方も無いように思われます。攻撃を受けたその場所が即「前方」になり、そのような場所に自衛隊を派遣するのであれば、自衛隊が自分の命を守るに十分な機動性を確保するだけの法整備と武器の携帯・使用を拡大・容認する事は絶対条件となります。
 また、与党に対する野党の主張に関しても明確な平和的外交手段があるのかと言えば、そうでも無いようです。国連決議や憲法解釈に対する慎重な姿勢は評価できるものの、具体的な方法論に言及しているものは無く、日本の対応としての機動性と迅速性に欠けます。米国の姿勢やイスラム原理主義勢力に対する認識の甘さも否定しきれないようにクレアには思われます。

 米のアフガニスタン包囲網は、冒頭にも述べましたが「交を伐つ」に有効な手段として用いられるべきで、即「城を攻む」という方法論にはクレアは賛同出来ません。孫子を米国に適応するのはいささか現実的ではないと考える人もいらっしゃるかも知れませんが、まず始めに「戦争ありき」のスタンスが米国本来の方法論ではあっても、それが一時的な対抗措置であるばかりでなく、報復が報復を呼ぶ泥沼になるであろう危惧は多くの人が認識しているとクレアは思います。増して湾岸戦争の二の舞を避ける事が最終目標で米国の軍事報復に対して盲目的に賛同する等はもっての他でしょう。日本のテロリズムに対する断固たる措置が、欧米諸国に対する対外的な面子保持の為の虚栄的な追従外交に摩り替わらないような方策が必要であるとクレアは考えます。ただ、今の政府及び外務省にそれを期待できるのかどうかに関しては、また別の意味で疑問視されてしまう部分も否定出来ませんが。

 三井物産戦略研究所の寺島実郎氏は、
「米国自身が中東に対して今まで展開してきた政策の矛盾を冷静に頭の中に入れておく、良い意味での温度差が必要である」
「日本の中東政策は意外に大事な位置に立っている。米国との大きな違いは、ユダヤは米国に大きな影響力を持っているが、日本はFreeである。中東のいかなる地域にも武器を輸出した事も無ければ軍事的に直接介入した事も無い。米国との温度差を前提にしながら米国とは違った形で中東に関わる事が別な意味でまた米国の支援にもなる。ただ一体になって行動に拍手を送っていけばいいというものではないという事をきちんと認識しなければいけない。」
と述べていました。
 印・パへの経済制裁解除のような「謀を伐つ」政策やアフガニスタン難民救助等の、日本独自の中東政策による立場から率先して展開していく外交努力を進めて行く事や、米国の軍事報復開始に対するギリギリまでの平和的交渉の働きかけ、明確な犯人証拠の提供等、自衛隊派遣以外にも力を入れなければならない事は多く残されているようにクレアは思います。
 無論、今回の自衛隊後方支援に関する政府の急進的なスタンスは、今まで私達日本国民が憲法・防衛・自衛隊に関する問題と議論を先送りしてきた事に起因する事は紛れも無い事実であるとクレアは思います。だからこそ、国民がもっと冷静に考え、議論していかなければいけないのが本筋とは思いますが、現状ではそのような余地も少ないのでしょう。

 最近新聞で良く見かける格言で、
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
というものがあります。
湾岸戦争での日本の評価が、日本にとって「経験」であるのか、それとも「歴史」であるのか。
自衛隊に対する日本人の認識は、敗戦という「経験」による後悔なのか、それとも敗戦という「歴史」による教訓なのか。
今後の動向を注意深く見守りながら、考え続けて行きたいとクレアは思います。

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Subject:「日本の姿について想う事」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.9.26


DMJです。

「自衛隊を派遣する為に新法をどうするか」で与野党でもめています。 現行のままで新しい解釈をしようとする意見もあるようです。
 憲法を一度も改正しないどころか見直し論すら「右傾化」と言って潰してしまう「お国柄」ですから、「都合に合わせた解釈」で切り抜けざるを得なかったのだと思います。 しかし、こんな日本の「姿」は果たして正常なのでしょうか。
 余談ですが、同じ敗戦国のドイツは1949年に制定した憲法を1998年までに46回、イタリアは1947年に制定し1993年までに6回改正しているそうです。
 憲法とか法律というのは、政治の大前提である「国民の生命と財産を護る」為に存在するハズですが、今回の無差別テロ、ペル−日本大使館占拠事件、湾岸戦争、どれ一つとっても、国民を護れない或いは護る為の行動が出来ないようです。 また、憲法や法律を好きな様に拡大解釈する事が許されるのであれば、法に対する信頼はなくなり、立憲法治国家としての礎は崩れ、政権政党の独裁化という形で民主主義は衰退してしまうのではと考えます。

 数日前の政府コメントで、「テロリストが日本に入国した可能性を否定出来ない」というのが報道されていました。 言葉通り、「可能性」として捜査していると、入国したという「前提」で捜査しているのでは全くやり方や「意識」が違うと思います。 後者である事を願いますが恐らく体質的には前者の可能性が高いと思います。 捜査も始まったばかりみたいです。 不思議に思うのは日本のマスコミが、アメリカがテロの情報を掴んでおきながら阻止出来なかった事は一生懸命報道して様々な意見をしているにも関わらず、自国政府の悠長に構えた「怠慢」に関して騒がないのは何故なのでしょうか。 マスコミも危機意識がないのでしょうか。

 湾岸戦争から約10年、ペル−事件も起きました、この間、与野党の代議士達は国民の生命と財産を護る「国防」に関してどんな議論をして、どんな結果を出したのでしょうか。 今更、「慎重に」とか「もっと議論すべき」とか言っている様ですが、どうも民間企業と比べて「危機感」と「将来への備え」が足りない様に感じます。

 不謹慎とは思いますが、「新宿の高層ビルや防衛庁なりにハイジャックされた航空機が突っ込んで沢山の被害を出さないと、日本も目が覚めないのでしょうか。」

 今の日本はテロリストにとって、隙だらけで攻撃し易く、大した抵抗もせずに大金を払ってくれる美味しい国として、何ら「抑止力」を感じない国になっていると思います。 ペル−の日本大使館占拠事件の際に、敵に廻したくないアメリカ人だけは即座に開放された、とTVで放送されていました。

 やみくもに自衛隊を派遣しろと言っているのではありません。  アメリカと心中しても、今の法律では海外の同胞を護る事は出来ないのですから。  しかし、同胞が血を流してから「話し合いで平和外交」では遅いでしょう。 日本はキリスト教国家ほどはイスラム教国家と仲が悪くはないと思いますから、事が起こる前であれば特使を送り平和外交に徹するのも一つの手段だと思います。 哲学のない日和見的な仲介では逆に反発を買うだけですので大変難しい役目だとは思いますが、平和憲法を唱えているのであればアメリカに迎合する前に、まずは率先すべきと考えます。
 また、「後方支援」などへ自衛隊を派遣する場合でも、弾薬や兵器は運ばない等の「好き嫌い」や「選り好み」を言ってられるのでしょうか。  人の心理として、「ガタガタ言うならもういい! お前には頼まない。」と「ヒンシュク」を買うだけではないでしょうか。
それと、自衛官自らの生命を護れる様、完全武装で送り出すべきです。 以前の様に「護身用の小火器」などと言う「逃げを打つ」様な事は絶対にやめて欲しいです。
 どちらにしろ、決めた以上は徹底して欲しいと思います。

 戦後の日本は、先人達の努力により見事に復興し、経済も繁栄しました。 世界と比べればまだ治安も良く、戦争もなく、そこそこ安定した生活を送る事が出来ました。 しかし、この後も永遠に続くものでもありません。 「生活環境や平和は与えられたり“願う”ものではなく、自分達で“護る”或いは“造る”」という事を、忘れている日本人が沢山育ってしまったと思います。 戦後生れの私達が享受したこの日本を、子供達子孫へ引き継ぐ義務を果たさなければなりません。

 政治家は直ぐに「国民の声の代弁者」と発言しますが、代弁するだけなら政治家でなくても江戸時代なら「目安箱」、現在ならEメ−ルで首相官邸に送れば済んでしまいます。 与党・野党問わず一人一人が、あちらこちらで目につく人気ニュ−スキャスタ−の様に、耳障りの良い事ばかり言って世論に迎合するのではなく、国家百年の計を見据えて「我々は国を引っ張るリ−ダ−」と言う自負と理念と牽引力を、もっともっと発揮して欲しいものです。 既に国や国境、民族に縛られる時代ではないと耳にしますが、まだまだ国家という枠組みの時代は続くでしょうし、何かあれば個人が望むと望まないとに関係なく、「運命共同体」になってしまいます。 現に、アフガニスタンの人達は、望まなくても巻き込まれています。

 処で、本当にラディン氏の仕業なのでしょうか。 別の組織の可能性はないのでしょうか。
この事件を利用して情報操作して世論を煽り、武力を正当化して目の上のコブを取り除く、いつもの「アメリカパタ−ン」では? と思ってしまうのは邪推でしょうか。

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Subject:「澤田の論〜よーく考えてみよう〜」
Date: 2001.9.27


クレアさん、DMJさん、IS.さんから『論』をいただきました。

  小泉総理がアメリカに行って、「危険な所でも武力行使に当たらない範囲で日本は支援活動を行う」との考えを伝えたとの報道がある中で、各人それぞれにお考えを書いていただきました。どれも自分のしっかりとした見識によるご意見です。

 最近様々なサイト上でも、今回のアメリカで起きた同時多発テロに対する日本の対応に意見が飛び回っています。その中で、非常に気になる論調があります。曰く、「日本は一国平和主義を取るべきではない。」曰く、「先進国として国際的な責任を自覚せよ。」といった物です。今回のテロがどのような動機で行われた物か、現在までのところ一切分かっていません。犯人は状況証拠から、オサマ・ビンラディングループを中心としたテロ・ネットワークであるとの連日の報道から、どうやらそうらしいと言う位の理解の元で、テロ撲滅に日本も立ち上がろうとの勇ましい意見が散見されます。

 しかし、私も不勉強でテロ・ネットワークの存在はそれとなく知っていましたが、その実態などに関して詳細な知識は今回の事件が起こるまでは知らなかったのです。ある日突然ネットワークが出てくるわけも無いので、どのような背景からそうした危険な物が生まれた来たのかを現在調べているところです。ネット上に書いている人達は今アメリカから流れている報道以上の知識を持って様々書いているのでしょうか?

 今回のテロに対する軍事行動がブッシュ大統領によって、秩序維持の警察行動から戦争行動に置き変えられた事から、単純にテロを抑止するという論理だけではない話になっています。国家対国家の間での自衛権の行使として国際法上認められている交戦権と、明らかに法論理的には違う形で、NATOの初めての集団的自衛権行使が決議されたり、日本でも周辺事態法で捉えきれない同盟国としての共同軍事行動が論議されたり、本当に難しい展開になってしまいました。

 憲法が今の世界情勢に合わない点をどうする、何を守る為の戦いなのかという点、本当に誰が関与した事件なのかと言う点、日米同盟とは何なのかという点、とにかく難しい論点を含んだ問題です。その中で、ある種の決断が求められる事は当然としても、あまり深く考えないで、何かをしなければ取り残されるといった判断停止的な事は将来にさらに大きな禍根を残す気がするのです。先に書いた論調にどれほどの思慮があるのか、と言う点はしっかりと見定める必要があります。

 今回の小泉総理の判断は、自立した法治国家としてはあまりに専断的な物と言えるのではないかと思います。国会で何の議論も無く、憲法に大きく改変を齎すような国際公約をするのは、やっぱりおかしいのではないでしょうか? 国会で議論しても先に進まない、その内にまた湾岸戦争の時にように国際社会から貢献の出来ない国として指弾されるよりは、自分が決断をするという事なのでしょう。そうしたリーダーシップは変化の激しい今の状況ではまるっきり否定するべきものではないのかもしれません。しかし、事態がどんどん進んでいくから、憲法論議は後回しといって済むのであれば、日本は法治国家ではありません。臨時国会において、アメリカに言ったからという事で全ての議論を済ませないで、本当に日本がこれから独立国として、どのように生きていくのか?その為に憲法はどうあるべきかを正々堂々議論する必要があると思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」との第9条との関係はどうするのか?はしっかり詰めていかなければならないと思います。武器を取らないのは臆病者といった勇ましさだけでは、通らない話なのだと思います。

 平和をもたらす為には、時として力が必要なのだ、という論理が国民の合意なのであれば、憲法を変えて、法に乗っ取って自制の効いた軍事行動をすればいいのでしょう。他国から貢献していないと言われるから、悔しいから方を超えて特別に今回だけ、議論はしないでやりましょうという事は、逆に後で整合性も何もなくなる危険性があります。今欧米の指導者達が戦争の概念が変わったと盛んに発言しているのです、武力の使いどころが歴史的に本当に変わっているのか、それとも彼らが自己正当化のレトリックでそのように言っているか、そうした点に関して、日本はどう構えるのか?ちゃんと議論を通して方向性を確認する必要がある事だと思います。

 今回の戦いはイスラム社会との戦いではない、といった傍から「文明の戦い」といった言葉が出てくるのは、一体何故なのか、私達は良く考えるべきではないかと思います。もしも戦争が長期化して、イスラム社会が欧米の価値観からの挑戦といった形で反発する様相を呈する事態となれば、欧米の価値観をある程度共有するといった論理では乗り越えられない日本の自画像の分裂をもたらす位大きなテーマがこの問題には内在している事を議論の背景に自覚しておくべきではないかと私は考えています。タリバンのような国家が旧ソ連やアメリカ、パキスタン、周辺国の様々な思惑を通して出来上がってきた経緯を見ていくと、テロという憎むべき犯罪とそれを生む社会を寄ってたかって作ってきた周りと裁かれるべき点では大差ないのでは?と思えてしまうのです。アフガニスタンの5000人の命と、先進国の5000人の命に重さの違いは無いと考える視点は日本人は失ってはいけないのだと思います。

 説明不足かもしれません。文明に対する挑戦といった言葉、自由に対する挑戦という言葉、それ自体は間違いも無く私達が理解出来る言葉です。しかし、そうした事を求めても得る事が叶わず、生まれたときから戦争に身を投じる事を運命付けられている社会を生み出し放置してきた、平和で民主主義な国際社会という物を守るという意味でしか捉えきれないでは、解決は遠のくのみなのではと考えずにはいられないのです。壊れた町を修復する事も出来ずにいるアフガニスタンの町と、ニューヨークの煌びやかな町の落差が、問題の根源に横たわっているとの想像力を持たないで、何も解決しないのではないかと想う事は単なる感傷ではないと私は信じます。テレビもない生活環境で、今回の事もあまり知らないで日々の暮らしの追われる人達がアフガニスタンにいる事を忘れてはいけないと思います。そこにある日天からミサイルが飛んでくるのです、神を信じるしか生きる望みを持てない人がまた増えるのではないかと思います。その中にはジハードとして、テロに走る人間がまた出てくるのは自明の事ではないかと思うと、居たたまれなくなります。

 膨大な武器を使用しての武力行使でしか、本当にテロを無くす事が出来ないのかをアメリカを中心とした先進国は本当に考えた事があるのか、甚だ疑問なのですが、そうした点につきご存知の方がいれば教えてください。小泉総理はそうした事を想像するだけの力を持っているのでしょうか? 先進国クラブの仲間入りに気を取られての、専断でない事を願っています

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Subject:「憲法について」
Name:
東京都 DMJさん
Date: 2001.9.27


DMJです。

 自衛隊派遣や国防について論議が沸騰していますが、その根本をなす「憲法」について書いてみます。 恥ずかしながら私は、文章が難解で抽象的で良く判らないと言う理由で、憲法を読んだ事が殆どありません。 第9条を、ほんの少し見たという程度です。 と言う訳で、本などで知り得た情報に基いて愚考を書かせて頂きます。 以前書かせて頂いた「歴史認識シリ−ズ」と「アメリカについて思う事」も一緒にご覧頂けると、背景をご理解頂けると思います。


 1946年2月4日午前10時、ホイットニ−准将が民生局スタッフ25名を召集して日本国憲法起草の指示を出したそうです。  起草に当った25名は、弁護士経験者5名、憲法学を学んだ者皆無だそうで、ちょっと乱暴ですが“半素人集団”ではないかと思います。
 余談ですが、GHQスタッフにも「ニュ−ディ−ラ−」と呼ばれた“アメリカ左翼”が沢山居たそうです。

*起草メンバ−:オズボ−ン・ハウゲ陸軍中佐
「自分の経歴から言って、果たしてこの様な任に堪え得るのか、不安に思いました。」

*起草メンバ−:ミルトン・エスマン陸軍中尉

「私は、この様な事は不幸な事だと思いました。  何故なら、外国人によって起草された憲法は、正統性を持ち得ないと思っていたからです。」

*3月7日付ニュ−ヨ−ク・タイムズ抜粋

「陸・海・空軍を全面的に廃止し、日本は今後その安全と生存を世界の平和愛好国の信義に依存すべし、と宣言するに至っては余りにユ−トピア的であって、むしろ現実的な日本人として草案を軽んずるに至らしめるであろう。」

*3月8日付クリスチャン・サイエンス・モニタ−抜粋

「これは日本の憲法ではない。  日本に対するアメリカの憲法である。 この憲法の重要事項に、日本の現実から生れた思想は一つもない。」

 召集から僅か9日後の2月13日に日本政府に提示されたそうです。
「まるで、開戦前のアメリカの最後通告並みじゃないか。」日本の閣僚達は言ったそうです。
幣原首相が、「自分としてはマッカーサー草案を受諾できないと思う」と述べると、次々と賛成意見が続いたそうです。
 日本側は、「憲法はその国の国情と民情に即して適切に制定せられた時のみ成果を得られる」という説明書を2月18日に提出したそうですが、ホイットニー准将は怒って、「48時間以内に内閣によって国民に草案を提示せよ」と最後通告を下したそうです。 形の上では国会で承認という手順を踏みましたが、圧力と脅しにより、日本には選択の余地はなかったそうです。

*マッカ−サ−のコメント抜粋
「どんなに良い憲法でも、日本人の胸元に銃剣を突き付けて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしかもたない、と言うのが自分の確信だ。」

*極東委員会でニュージーランド代表ベレンゼン卿のコメント抜粋
「現在の国会は、憲法につき最終決定権を与えられていないというのが、ニュージーランド政府、および、自分の考えである。」

「自分達が短時間で十分な資料もないまま作り上げた日本国憲法が、その後一度も改正されていない事を聞いて驚いた。」
憲法起草に当った何人かが1985年頃にインタビュ−を受けた際のコメントだそうです。


 サンフランシスコ講和条約後に、「こんな憲法では独立国とは言えない」という声が上がり、かなり改正へ向けての話が進んだそうですが、高度成長期を迎えて国民の関心が離れると同時に見直しは頓挫してしまったそうです。

 では、他国はどうでしょう?
例えば、同じ敗戦国のドイツは1949年に憲法を制定したそうですが1998年までに46回、イタリアは1947年の制定後、1993年までに6回、改正しているそうです。
 近年改正或いは制定された60以上の国の憲法では、環境問題やプライバシ−、知る権利、文化や伝統の保護に至るまで、人権条項の多様化がかなり進んでいるそうです。 例えば、クロアチアの憲法では、コンピュ−タ時代を反映して個人デ−タの保護も盛り込んでいるそうです。
 日本は唯一の被爆国として「非核三原則」で反核を唱えていますが、廃絶は唱えていないそうです。 核廃絶を憲法に謳っている国は10ケ国位あるそうです。 アジアではフィリピンやカンボジアがそうだそうです。
 また、世界で唯一「非武装」を謳っているそうですが、海上自衛隊は第7位当りにランキングされているそうです。 これを武力と言わずに何て言うのでしょうか。

 外国人によって与えられた憲法を、55年間一度も改正しないどころか見直し論すら右傾化と言って潰してしまう野党や左翼精力、その対策で苦し紛れの解釈だけで乗り切る政府与党。 こんな日本を、世界は一体どう見ているのでしょうか?

 憲法とか法律というのは、政治の大前提である「国民の生命と財産を護る」為に存在するのであれば、当時の日本政府の主張通り  「その国の国情と民情に即して適切に制定」されるものと考えます。 その国の人間がその国の言葉で創るものではないでしょうか? 同じ平和憲法でも、決して「アメリカ原理主義」に迎合する事なく、アジアを見据え日本の文化・思想に基き日本人が考え日本人の言葉で創るべきです。
 また、憲法や法律を好きな様に拡大解釈する事が許されるのであれば、法に対する信頼はなくなり、立憲法治国家としての礎は崩れ、政権政党の独裁化という形で民主主義は衰退してしまうのではと考えます。

日本の代議士や法曹会の方々が、
「もうこれ以上、世界に“恥”をさらすのはやめよう。 独立国として、立憲国家としての礎を固めよう」
と奮起される事を切に切に切に望みます。


*私の言う「アメリカ原理主義」を表す言葉
 → 人種差別、弱肉強食、合理化追求、勝てば官軍、自己中心、排他的

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Subject:「澤田の論〜よーく考えてみようpart2〜」
Date: 2001.9.29


DMJさんから「憲法について」という論をいただきました。

  ある意味で、日本人が如何にあるべきか?という事を真正面から考えなければと言う事をDMJさんは常に考え発言されているように思います。心情的に私も同様な部分が多く、いつかそうした点について、良く話し合って見たい気がします。もし差支えが無ければ、どのような形で、さまざまな情報を集められているのかをご教授いただければありがたいと考えています。

 憲法を草案したアメリカのチーム構成が素人集団であったという話は、不勉強でよく知らなかった話です。何を元に調べられたのかが分かれば、私も自分なりに確認して見たい気がします。私は法治国家として何をするにも、その行動原理として憲法を遵守する事を蔑ろにすべきではない、そう考えてきました。しかし、私達の世代はその憲法を意外によく知らないで済ませてきたし、深く議論する事をしないで済むような錯覚をしてきたのかもしれません。

 私自身は平和憲法と称される、今の日本憲法の持つ未来性というか、理想主義は嫌いではありません。草案作成に当たった人達が、非現実的だと言ったというのは多分その人達が軍関係者で、平和を作り上げるのはある種、力との哲学を持った人達であるからではないか、と想像するのですが、そうした点につき確認してみたいように思います。その上で、当時の状況からすれば、そうした憲法を考案したアメリカの考えは日本の再軍備を絶対にさせないと言う命題から、そうした憲法を作った事は想像に難くない事です。
ところが、世界情勢の中でアメリカと日本が同盟関係を持つ意味が変わってみると、アメリカは日本に軍備を持ち、別の貢献を求めるように変わりつつあるのでしょうか?本当の所は変わっていないのかもしれません。逆に、日本自身が変わりたくて今回の事態を契機にしようと考えているのかもしれません。

 56年もの間、国の基本としてその上に乗ってきていて、他国からの押し付けだからその呪縛から逃れる事をのみ変える為の要因とするのでは、却って自立国家として情けない気が私はしてしまいます。日本が抱えている様々な問題のどこかで、国の基本である憲法を自分達で考えてこないで済ませてきた事の安易さがある事は疑いの無い事ですが、全ての話をそこに持ち込む事は、別の意味で安易な話になりはしないか、そんな風にも考えています。東京裁判の意味を問い直す事も、同様に国際社会という物を理想として、どのように構築するのか?という考察無しに、ただ押し付けられた法外な物として捉えても生産的ではないと思います。理想で食ってはいけないという考え方を極端に推し進めていくと、過去を封印して、アメリカとどう付き合うかという話になってしまい、理想が大切と言う考え方を極端に推し進めていくと、平和を作る為には憲法を弄らないという思考停止に至る、その両極端の間で、何も議論が進まずにきたのが日本の姿なのではないでしょうか?

 先ほどまで「朝までテレビ」を見ていました。以前より中身のある議論が為されているように思いました。国会議員の中にも、本当にこうした議論を良く分かっている人と、そうでない人がいる事が良く分かる内容でした。某警察官僚からの転出議員は正直言って、理解力を疑う発言が目立ちました。話が飛ぶように感じられるかもしれませんが、何を書きたいかというと、そうした無理解としか思えないような人達が、憲法を動かす可能性を持っている事を懸念すると言う事です。小泉総理もまた今回の事態が憲法との関わりの中で、どのように大きな意味を持つ可能性を秘めているのか?という点について、信頼に足る政治家なのか、本当によく見ていかなければならないと私は感じているのです。

 憲法を変える自由を自立国家として、我が国は自分の当然の権利として持っています。その時に、何のために変えるのか?を過去の経緯にのみ求めてはいけないのではないでしょうか?日本が理想と現実の間で、国際社会に対してどのようなスタンスを今取るべきか?将来そのスタンスを何を持って変えていくのか?その戦略はどうなのか?何も議論が深まっていません。ましてや、国会議員の中にも真面目にそうした事を普段から勉強しているとは到底思えないような人物が結構多いと考えさせられる状況で、ただ変える事だけが目的化する事の危険性を感じずにはいられません。東京裁判などでの関連からすれば、国際社会と言う物の実態をもう少し日本人が認識する必要があると思います。あの戦後すぐの時点での国際社会の矛盾が今は変わっているのでしょうか?形を変えながらも本質は何も変わっていないはずです。つまり強国が全てのルールを決めるのです。

 日本国憲法は、そうした物から脱却する事を実験的に構想された面と、先ほど書いた再軍備化を防ぐと言う構想を無理に統合するような物であったのではないか、と私なりには理解しています。ところが、世界の情勢は現実的には前段の理想主義的な事では済まない為に、警察予備隊という自衛という名目からなし崩し的に自衛隊に改変され、実態的には再軍備をしてきたのです。憲法第9条が憲法論議でいつも議論の的になる矛盾が集約される原因は、そこにある訳です。一方では、自衛のための軍隊を持たない事を謳いながら、国際情勢に対応する為に軍隊を持つ事をするという甚だしい自己矛盾を抱えてきてしまったのです。その矛盾は我が国の置かれた立場の中で指導者達が苦慮を重ねてやってきた事でもあります。曖昧だから悪いなどと言った単純な事ではないのです。曖昧にする事を主にアメリカの利益のためにやってこざろう得なかったのです。

 今自衛隊の派遣の問題で国会で、状況的に判断を早くしなければならない議論はどうしてもしなければならないと思います。その上で、ある程度の行動を出来る体制を整備する必要は間違いなくあります。ただ、そこでの議論で戦争を場合によっては選択する国になるとしたら、どのような事態(当然自衛という事を念頭において)を想定するのかをキチンと議論して欲しいと思います。もしも一切の戦争を否定するというスタンスを本当に取るとすれば、それは戦争をする事以上に理性的な考えと、そのあり方を世界に説得して戦わないけれども、犯すべきでない国としての尊敬を得る事の出来る国をどうしたら作りえるのかについて、明確なビィジョンと行動が求められるはずです。世界中で起こっている事を理解する努力をしないで済むと能天気に考えている国民が相当数いると思われている状況で、それは単なる甘えに過ぎないのではないでしょうか?他国にしても本質的に戦争が好きな人が多いから、戦争をしているのではなくそうした事態に追い込まれてしまう危険性が常にあるからこそほとんどの国が軍隊を持っているのが現実なのですから。その現実を乗り越える事は軍隊を持つ事よりもすっと困難である事を、どれだけの人が理解しながら平和を守れと発言しているかが問われるのです。

 「朝までテレビ」の中で、テロの根源的な問題がイスラエルとアラブ社会との問題である事が少しは話されていましたが、イスラエルという人工国家を生み出した宗教的な対立はキリスト教とユダヤ教とのヨーロッパ的な対立であり、それを中東に押し付けたのが今の状況の根源です。勿論元々同根である3つの宗教はその聖地が一つですから、イスラエル問題がなくてもいつかは争うべき運命を持っていますが、テロによって大きく問題視される事態を生んできたのは、欧米社会の矛盾がその根本にあるのです。経済的な側面で、日本もそうした欧米のやり方から利益を受ける立場にある事から、あまり大きな事は言えない部分がありますが、本質的には欧米の矛盾がより問題を複雑化してきた責任があるのです。世界貿易センターにおいて、80カ国の人が命を奪われたとの事ですが、その責任を謝罪する言葉をアメリカが一切口にしないのは如何な物かと私は思います。日本人も20人以上の人が犠牲となっています。もしも日本で同様の事が起こったら、何故守れなかったとの轟々たる非難が起こりうる気がします。同時にペンタゴンが狙われた事は殆んど報道されませんが、無差別なテロと言う捉え方で全てを覆い隠す事で、多くのく国を巻き込んだしまった事への謝罪をしないで済むように情報操作をしていると考える見方だってありうるのではないかと思います。こうした事を書く事が不謹慎だとみなさんは思いますか?

 私はテロを容認するつもりは毛頭ありません。しかし、テロを無くす為にはもう少し深く考える必要があると思うのと、罪を問う行動の後に日本という国は憲法をどうこれから考えるのか?という議論が折角出てきたのだから、一時の悪乗り的な事にしない問題提起として国家議員の人達だけではなく、我々一人一人がちゃんと考えるべきだと思います。もう少し世界のあり方に目を向ける思考的にも精神的にもそれなりの事が出来る真の意味での先進国になる努力をすべきだと思います。その為には今の時点での情報に振り回されない歴史への目を持たないといけないのだろうと考えています。

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