荘内神社

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御 祭 神
荘内藩酒井家
初代 忠次(ただつぐ)公
二代 家次(いえつぐ)公
三代 忠勝(ただかつ)公
九代 忠徳(ただあり)公
(大正十三年合祀)
それぞれの殿様の
詳しい情報は→こちら

▲酒井様歌碑

御 由 緒


荘内神社

 元和8年(1623)に酒井家三代忠勝公が、幕命により信州松代から荘内に移封して来られました。
戦国時代、草刈場となり疲弊していたこの土地を歴代藩主が250年に亘り善政を施かれ、領民一同も心から殿様を敬い慕っていました。

 時代の大きな変革の中、長く平和が続いた幕藩体制が終焉した後でも、旧藩主を敬い慕う民衆の気持ちは強く、庄内一円の人々の総意によって、明治十年(1877)、藩主縁りの中心地である「鶴ヶ岡城本丸址」に、出羽之国庄内の産土神(心の拠り所)として荘内神社が創建されました。

 以来、開運招福・家内和合・産業繁栄の神様として、多くの人々に尊崇されております。

神縁のある神社【御城稲荷神社】


御城稲荷神社

◆御祭神◆

倉稲魂神・大市姫神・五十猛神・須佐之男神・大己貴神

◆御由緒◆

 宝永五年(1708)六代藩主酒井忠真公が鶴ヶ岡城二の丸東北隅に城内鎮守として社殿を建立されました。京都伏見稲荷社より勧請したという記録が残っています。

 明治に入りお城が取り壊される時、当社は廃社を免れました。それは、縁日に大手門を開き庶民も自由に参拝することが出来た為に、士族のみならず一般民衆のの崇敬が厚かった為と言われております。

 明治10年11月、荘内神社の境外末社となりその後一社と認められました。

神縁のある神社【鶴岡護国神社】



合祀祭

平成21年4月 桜花爛漫の下 合祀祭 斎行

◆所在地◆

山形県鶴岡市馬場町4番4号
鶴ヶ岡城本丸址鎮座

◆御祭神◆

四九三〇柱の英霊
(市町村合併に伴い、各地区遺族会が連携し平成20年4月、市遺族連合会となった。各地区遺族会の要望により、総ての御英霊を平成21年4月18日合祀された)

・戊辰の役
二六三柱
・温海地区
五六五柱
・西南の役
四四柱
・藤島地区
五四二柱
・日清戦争
一三三柱
・羽黒地区
四三二柱
・日露戦争
三八九柱
・櫛引地区
四二五柱
・日露戦争以後
六九柱
・朝日地区
三四一柱
・大東亜戦争
一,五八六柱
・黄金地区
七八柱
・斎地区
六三柱

◆祭日◆

・1月1日
元旦祭
・2月11日
紀元祭(建国記念の日奉祝式典 開催)
・4月23日
宵祭
・4月24日
春季例大祭(献幣使参向)
鶴岡市戦没者追悼式(社会福祉協議会・市・遺族会共催)
・8月15日
終戦記念日祭(慰霊と平和の集い)
・9月23日
秋季例大祭(奉賛講社大祭)
・毎月1・15日
月次祭

◆御由緒◆

 明治28年(1895)10月、旧藩主酒井忠篤公の御発心により、幕藩体制が長く続いた江戸時代から、開国を迫られた明治時代に変わる激変(戊辰、西南の戦役)に殉じた藩士の霊を祭祀るために創建。「鶴岡招魂社」と称した。

 拝殿は、酒井家十代藩主忠器公の御霊廟が特別に下賜され、江戸時代の霊廟建築として庄内で唯一現存する貴重なものである。

 以来、国の存亡をかけた幾多の諸外国との戦いから未曾有の大東亜戦争に至るまで国家のために殉じた英霊をお祭祀りし、昭和14年、招魂社制度の改革により「鶴岡護国神社」と改称され、神饌幣帛料供進神社に指定される。

 昭和20年、大東亜戦争が終戦。占領軍の「神道指令」により公的機関との関係が断たれたが、祭神に縁のある遺族・戦友を始め、心ある崇敬者により護持されている。


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